火事から考えたこと

超介です。

その日の数日前に、国内外の数件の火事のニュースを耳にしていたためか、枯れ草の生い茂る川原を朝歩いたとき、ここに火がつけば一面焼けてしまうな、と思いました。

その日の日中に、知人が携帯電話での地元の事件報道ニュースで「M(私の住んでいる地区名)の公園で火事があったようだよ。」と教えてくれました。「公園、小学校の北にあるよ。でも田んぼの真ん中だし、燃えるようなものはないとおもう。」と私。

翌日の朝歩いていると川原の土手下に消防車が一台とまっていて、消防士がホースをまき、丸めたそれを架台に積み込んでいます。「朝から防火訓練?」と思いました。

土手に上がり、川原を見下ろして、「あっ」と声が出そうになりました。昨日、燃えるかも、とおもっていたその箇所がもえていて一面真っ黒になっているのです。

「昨日の火事のニュースはこれか、公園というのはS川公園のことか。」と全部がつながりました。

私に予知能力がある、などと考えているのではありません。でも偶然と割り切ってはしまえないものが残ります。それから人の潜在的な力について考えはじめたのです。

脳科学者によれば、人の行為はそれを当人が意識する以前に、脳の中でその行動の元になる回路が発火しているそうです。すべての所作を人は意識して行わず、無意識の行為(たとえば習慣化したものなど)など、ふと気がつけばやっていたというのはその証明です。

ある言葉や考えが浮かんできたり思いついたりすることを、無意識の海、そのあるところから泡のように浮かんでくる、このようにたとえて説明されます。その思いつき、気づきの内容を選択することはできません。無意識の海に意識の釣り針はたらせません。

そうであるなら、アイデアや考えをたくさん思いついたりする人になるためには、この無意識の海を豊饒の海にするようにすればよいと思います。天才モーツアルトも過去の名曲を徹底して学んだとか、読んだことがあります。その豊な曲想の海から多くの楽曲を世に出したと。

無意識の海を豊にするため、そのためにたくさんの栄養を海に投げ入れます。未来に向かう、上昇志向のコトバの塊、映像、五感から入る自然物も、どんどん取り入れて無意識の海を豊饒の海にするのです。春の私の妄想。

One thought on “火事から考えたこと”

  1. キヨシです。
    超介さんのように博学ではありませんが、
    「改革者は人生の先が見える」と評されることがありますね。
    時代の先読みって、自分が想像したことを現実にしていく力が
    あることですよね。
    超介さんにも同じ力があるのでは・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です