超介です
数年前は本からから学ぶことが中心でしたが、ネットが加わり、さらには人と出会って学ぶ機会が増えてきました。その中で言葉の重み、意味の含量のようなものを感じるようになりました。特に現場に近い、生の人との出会いからそうおもいます。本やらネットで言葉の引き出しを作り、そしての中身を生の現場で拾っています。ずると、言葉選びに敏感、慎重になるのです。
引き出しの中身が気になると、本を読むのにも慎重になって以前は読み飛ばしていたような項目が、読み飛ばせなくなったり、途中で読書をやめる、以前は興味があった本がそれほどでなくなったりしています。逆にそれほど興味がなかった物語、小説に関心が移ったりしています。
話し言葉も、意味を確かめながら聞いたり、話したりすることが増えてきました。その結果、話す内容に慎重になり、必然ゆっくりになりました。相手の言葉の意味が気になったり、以前は随分考えもせずに話していた事に気が付いたりします。そして、そのような言葉でつくった話を聞いてもらうことは、心が整理できてスッキリ、話し手が新たな気づきを得る機会が増えてきて、行動へのモチベーションが高まります。
文章を書くことは、聴く、話すより意味のつながりを確かめる良い方法です。自分の考えを外に出してまた読み直すことが確実にできるからです。書き言葉は引き出しのラベルを整理してきちんと並べて整理して体系付けて理解したり、伝えたりする、ということができます。その言葉の意味にはその人が無限と言って良いほどの情報のつながりがあるので、人によって響きが違ってきます。それは人が持っているすごい能力でまだまだコンピュータが真似をできない能力です。
キヨシです。
書いてみること。
意外に書けなかったり。
意外に書いた方が楽だったり。
なかなか深いです。
キヨシさん
いつも読んでいただきありがとうございます。
書くのも話すのも自分中心で独り言が多いのですが
読んでくれる人、聞いてくれる人がいると、
ちょっと客観的にもなれてまた気づきも増えてきます。
いつもありがとうございます。