劇  太宰治 「走れメロス」

小学生の息子の学芸会に行ってきました。

3週間ほど何やら一生懸命。
演目は「走れメロス」らしい。
「そうか・、メロスの頑張りをみるのもいいなぁ!元気もらえるかな・」
「息子と息子の仲間たちに会いに行こう、たのしみだなぁ」
まあそんなごくごく軽い気持ちで行ってきました。

もともと劇は何と言うか距離が近く生々しくて
映画の方が見ていて楽なんですね。
ただ、子供たちの芝居、侮れないものがありました。
メロス役の男の子、非常に上手いのです。
映画と違ってライブなわけですから感情移入してしまうんですね。
ついついと。。。
そして、王様役(女の子でしたが)・・・堂に入ってすばらしい。
(なにやら子供歌舞伎をやっているとの噂でした)
そこで「やられた!」と思ったのです。

恥ずかしい話、メロスの頑張りだけが頭にありましたが
観ている途中で、ああ、そうだった、
中二の時の国語の授業を思い出したのです。
主人公はメロスで間違いないけどもう一人影の主人公がいたんだ!
そう、王様です。
彼女の演技は影の存在をはっきりと表現したのです。

親友セリヌンティウスとの約束を守り、駆け戻ったメロス。
友情を確かめ合う二人。
喜ぶ群衆。
そんなメロスの行動に目を覚まされた王様。
その王様の言葉。
太宰は自分の日常では言えないけれど
生きているうちに一番言いたい言葉を王様に託したのでしょう。

その台詞
「真実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」

小学生の熱演がとても響いたのでした。

4 thoughts on “劇  太宰治 「走れメロス」”

  1. 「真実とは、決して空虚な妄想ではなかった」
    驚きました。
    劇とはいえ、小学生の台詞とは・・・。
    いや、でも意外と分かっているかも?
    もしかすると、
    子供達は大人よりも真実の近くにいるのかも知れませんね。

  2. 転石さん、そこ、深いですよね。
    もしかしますね。きっと。
    小学生の演目でそういうセリフが出るところ
    正直、いいなって思いました。
    知識としての理解を超える言葉ってありますよね。
    「真実」って言葉、とても引っかっかると思います。
    劇がある意味「体験」だとしたら
    子どもたちは「言葉」を体感したと思います。

  3. キヨシです。
    子どもから、教えられることは今までもたくさんありました。
    私たちが子どもから「個」として一人の人間として見ることができた
    から、感じることができるように思います。

  4. キヨシさん、コメントありがとうございます。
    「個」として一人の人間として見ることができたから
    ・・・・・本当にそうですね。
    最近、教育コーチングでいう「尊重」の在り方が気になっています。
    ある雑誌の記事だったのですが、
    「自分の中にないものは理解できない」
    という言葉に出会ったのです。
    とても怖いと思いました。
    私たち大人が子どものころ持っていた感性を、
    また、ある種の純粋さを失えば
    大人は子どもたちを理解できなくなるばかりでなく、
    子どもを尊重することもできなくなるのではと考えたからです。
    それはとりもなおさず、大人が大人を尊重できなくなること。
    ひいては自分が自分自身を
    尊重できなくなることにつながる
    とも思ったからです。
    キヨシさんの言われるような
    「子どもから、教えられることは今までもたくさんありました。」
    といったサラッとした一言
    広い心を持ち、子供の感性を忘れない大人の真のおおらかさを感じます。
    そんなセンスを大事にしながら教育コーチングを、
    自分を生きたいと思うのです。

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