超介です。
前回、学習することが困難な人ほど勉強になる、ということを書きました。
似た意味で(不謹慎かもしれませんが)少しは持病のある人のほうが健康に気をつけるので、健康的である、という人がいます。(高血圧で、肌に持病もある私としてはこういうことを聞くと少し安心。いや、安心すればもうそこで、不健康?)
落ち着いた環境で、安心して生きていくのが幸せだと考えて、無意識に争いの少ない関係を求めたり、
関係を拒絶したりする。
でも、身体の健康と同様、心の健康もそういった環境で生きていくことから生まれるものではなくて、激変の中でもしっかりと進んでいける状態をいうのだと思うようになりました。
前が見えなくても、ぶつかっても、倒れてもよい、起き上がって羅針盤をしらべ、進む向きを確認できる状態が健康的。そして再度、一歩を踏み出す。
そうそう、今日も2つほど失敗、労働意欲がぐーと低下しました。
(いやな気分から逃げずに、ちょっと無理して)これは(労働意欲の低下は)健康な証拠、と思い直し、じっと、自分の心を見直して、そこからはじめます。
すると、見えてきたのは、相手軸で考えていたはずであるが、いつのまにか、相手の気持ちではなくて
自分の気持ちよさを求めって突っ走っていた自分の姿。
(大義名分をかざして実は自己満足をひた走る私でした。ああ!!)