学習過程で得るもの

超介です。

言葉が示しているイメージがお互い違うときがあります。こういうときは、重ねる努力をすればコミュニケーションが成り立つのでしょう。

でも、相手と自分が一緒にいることができないと、それはできません。週1回乃至は2回程度、子ども達に学習してもらう仕事をしています。(他にもやっていますが、現場ではこれです。)どうにかして学習する力を身に付けてもらえるように工夫を凝らします。

うまくいかない場合は、子どもが学習することと向き合えないときですが、こういうとき、無理やり学習を提示するとゲームが始まります。だから、今この子は何を見ているのだろうと、想像し、理解しようとします。それがコーチの役割です。理解できれば次の行動がみえるので。

子どもが学習に対して「イヤ!」と拒否するとき、その「イヤ!」の中には色々意味があるように思うのです。「イヤ!」を一旦受け止めて、それから質問します。「何がしたいの?」とか「そう、それで今日はどうする?」そこからの反応は様々。心の扉にノックすべく試みますが、ことごとく拒否の場合もあるし、中には急に扉が開く場合もあります。

(このことは何回か書いたことでもあるのですが・・・。)理解すべく、悪戦苦闘しているうちに子どもとのドラマが始まり、時間が経過し終了となります。最後に、お話をします。「今日はどうやった?」等の質問で振り返りをするのです。そこで話ができればよし、できなくてもよし。

そういう情報を保護者とお話しします。幸い、そのような内容を前向きに受け止めていただく場合がほとんどなのでありがたいと思っています。会話を重ねていくと、保護者のほうからも、その子に関するお話をしてもらえるので、理解が進みます。

で、そうやって学習することが難しい子ほど、学習することが(子どもにも、私にも)勉強になると思うのです。なぜかというと、そのときの試行錯誤からわかることがあるからです。

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