疲れる理由 から

超介です。

その作業終了直後にはわからず、数時間経ってから疲れていることに気がついたことがあります。最近はもっぱら両親に教えてもらいながら、自宅の農作業をやっています。トラクターを使って田んぼやら、畑を耕した時のことです。機械に乗り運転して作業するのです。乗って作業するから楽で良い、と思っていましたが、途中で気分が悪くなったように感じました。丁度乗り物酔いの感じなのです。草刈り機を使って作業する時も同じように感じました。

これはつまり疲労でした。運動をして疲れるのは、自分で体を動かしたことからくる疲労です。でもよく考えれば、自分で身体を動かすのも、外部から動かされるのも身体が動くという意味では同じなので、疲れて当然、と納得しました。機械と身体が同調して動くようになれば疲れない、と父が言います。きっとそうですね。機械を使いこなす、とはそのことも条件にはいるのでしょう。

心の疲れを実感したことがあります。それは労務管理をしていて人の話を聞くことが多かった時、時には愚痴を聞いたりするのですが、これが続くとぐーと心が重くなる感じでした。たぶん、心が外部から激しく動かされていたからだと思います。今は、聴き方、質問の仕方をコーチングの理論で学んだり体験したので、たぶん、「話を聴く」ことは苦痛にはなりません。自分の課題と、相手の課題を分離することの重要性、有効性も最近本(嫌われる勇気、岸見一郎 古賀史健)を読んで学びました。

このアドラーの教え、「課題の分離」から「共同体の感覚」までまだ十分に理解できたとは言えませんが、これまでもやもやしていたことをスッキリとさせてくれて、的確な視点を与えてくれそうです。もう少し学んでいこうとおもいます。

3 thoughts on “疲れる理由 から”

  1. そら@内藤です。
    機械と身体が同調して動くようになるっていうのが、
    コツなんですね。
    ペーシングのようですね。
    嫌われる勇気、読みます。

  2. そらさん
    そうなんです。
    ペーシングと同じなんです。
    機械は考えて作られているので
    その動作を理解して、
    そして自分の身体と同調させるのです。
    あたりまえだけど時間がかかりますねえ。
    上手に使う人は農地と機械と身体を調和させて
    使います。

  3. キヨシです。
    なるほど。
    どこかでつながっているんですね。
    学ぶことはいろんなところに
    あるものですね。

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