田舎の春に思うこと

超介です。

丹波市に田植えのために帰省中です。

今年の五月三日は春なのに、丹波では少し寒さが残っていて、朝はストーブがほしく、温まってから仕事にでます。稲の苗も、もう少しそだってほしいと、田植え部隊面々(両親、私、姉、姉の息子夫婦の6人)の都合のつくかぎり、遅らせ、明日4日に行うことになりました。

今日は、カボチャの苗を畑に植えたり、蕨、菜蕗、タケノコを採ったり田舎の春を楽しんでいます。(写真はうまくロードできないので後日に再度投稿しますね)

普段は、あまりよく観察しないのですが、じっくり若葉もみると、とても深くみえます。味わいが深い、つまり情報量が多い、という意味です。言葉では若葉一文字、でもそのものから伝わってくるものは一単語では表現できません。

言葉は大変な情報量を最小限に包み込む風呂敷です。柿の木の若葉一枚からも、じっくり観察すれば、その表面には粉を吹いたかのごとく小さな毛状のものや、次々と細くなって枝分かれしていき、葉っぱ全体を細かく区分している葉脈、つやつやと光沢のある薄緑の表皮、そのかすかな色のまだらなぐあい、等々たくさんのリアルが浮かんできます。

そのリアルを受け止めているとき、人間も、その自然の一部であることに思いを巡らせます。

出会う人とのリアル、ちゃんと受け止めよう、一つも単語で割り切れる程人も、人生も単純ではないと。そのことに気をつけた上で関係を作っていこうと、感じるのです。

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