相手の立場に立つ

超介です。
人間関係でも、組織と組織、国家と国家においてもどのような関係を作るかは、とても重要な選択です。時には関わらない方が良い場合は結構あるように思います。ここでは、関係を良くしようという選択をした場合においてのことです。どのように選択するかの過程についてはここでは書きません。
相手の立場に立って考えるとは、正確には「たったつもりで考える」のが精一杯の意味で、「正確に相手の立場に立つ」ことなどは基本的にできません。そこから考えれば、まずは理解するように努力して、「このような意味かな?」と想像したり、その範囲を絞りこむぐらいです。
上の者が下の者の行動を見る時、上から目線で、批判的に見、考えを伝える、意見を述べる時には「相手の立場に立ったつもりで考えていて」そしてそれが相手に受け入れてもらえないことがよく起こります。その結果、関係がまずくなることが多くて、関係が疎遠になる、衝突が起こるということがそこらじゅうで起こっています。
そのようなことは親子や、生徒先生あるいは上司部下等の近い関係ほど起こりがちです。相手のことをわかっていると判断してしまいがちだからです。私も、塾で働いていた経験から、そのような苦い経験を繰り返してきました。学習態度が良くない塾生を否定的に見、叩き直そうとしたり批判を続けたりして結局は休んだり、退塾してしまったり。塾の場合はやめれば済みますが、そうでない、あるいは閉鎖的な場合やら、離れられない強制力が働く場合はさらに悲劇までが起こる場合があります。家庭やら、学校、あるいは企業なども離れればいくところがない、あるいは生活できない場合です。
ED187B1E-86A2-4753-830C-CD5988F80ACEいくつかの苦い経験から私が学んだことは、「理解できると思わない」けれどそれに向かい「努力を続ける」ということと「尊重」することの有効性です。それを維持するだけでも、関係がずいぶん変わりました。こちらの方がより良い結果に結びつく可能性が高まるように思うのです。そのような態度で接していると、突然に相手が心を開いてくれたように思える瞬間(心にブリッジがかかる)があるのです。それは、はっきりと五感で自覚できるのです。

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