Guitar事始め その2

超介です。

 昨年の1月からクラッシクギターを手に入れて練習を始めました。ちょうど1年になります。およそ1〜2時間/日程度の練習時間ですが、たくさんの学びがありました。そのうちの一つです。

 音楽やら、芸術に触れている人にとっては当たり前のことでしょうが、私にとっては驚きでした。それは、よく考えれば当然のことですが、曲は演奏者の考え、解釈があって、それにより演奏されていること。その自由さです。

 譜面があれば曲は一つに決まる、考えていました。だから演奏には正しい解があって、それを求めて練習し、それは一つであると考えていたのです。譜面は一つでも、解釈は何通りもあって、したがって同じ譜面でも演じられる様は多様であることに感じ入ったのです。

 こんな当たり前のことが、やっとわかったのです。そして同時に音楽の奥深さ、自由さに感動をしたのです。私は独学で学んでいるので、譜面をみて音を拾いながら読み、左右の手の運指を確かめながら練習するのです。数分で弾けるような短い曲ばかりですが、何とか指の運びが理解できるのに3,4日はかかります。そして、途中でミスを何度もくり返しながら、かろうじて弾けるようになるのが、2,3週間。そこからミスが1,2回で済むようになるのがさらに2,3週間。一日に一曲を5回繰り返すので、ざっと200回くらい。

 そこまでくると今度は音の出し方、強弱等を考える余裕ができてきます。そこからがまだまだ先があるのです。こんな世界であったのか、と驚き入っている次第です。

失敗マンダラへの道

皆さん、こんにちは。大学院生の教育コーチいっすぅぃ〜です。

 今日は、昨日の続き:!!: 会いたいかった先生に会うことができた、というお話です。

 先生のお名前は中川正。地理を研究されている先生でした。私の大好きなニュー・オーリンズの近くにあるバトンルージュにある「ルイジアナ州立大学」でも、長い間研究を続けていらっしゃったようです。 1時間ほどのお時間をいただけました。その中には、本では知れないことも沢山うかがうことができました。

 そもそも、このような研究をしてみようと考えられたのは、各大学で「アクティブラーニング」を推進している先生方の専門分野が様々だったと、いうことがあるようでした。 しかし、これも逆転の発想の発端になったようで、「授業を良くしたいという思いは同じ」ということから何かできるだろう、とも考えられていたようです。 そんな折、先生の頭に浮かんだのは『失敗学』という学問もあり、お互いの学びを深めていくことができるんじゃないだろうか、というお考えに至ったようです。

 その研究から、昨日もご紹介した『アクティブラーニング失敗事例 ハンドブック』『インターンシップ失敗事例ミニハンドブック』、また溝上慎一先生が監修された「アクティブラーニング・シリーズ」の第7巻に繋がるわけです。
 この『失敗学から学ぶ大学教育改革 : 中部圏の地域・産業界との連携を通した教育改革力の強化』(中川, 正; 亀倉, 正彦; 成田, 暢彦; 須藤, 智; 川島, 一晃 大学教育学会誌. 2014, 36(2), p. 30-33.)はたいへん示唆に富んだものとなっています。

 面白いこともうかがいました。この研究を通して研究分野の違う先生方がお話を重ね、「こういう風にしていくといいね」と考えたことが、教育(心理)学の分野の先生には、「そうです。そこにはこんな先行研究やエビデンスがあります」といった教えを受けることができた、ということでした。それぞれに各々の叡智があり、またそこに深みを増していく、そんなことを実感をもって知りました:**:

 中川先生の考える「授業論」「授業者」といったお話もうかがうことができ、充実した1時間となりました。中川先生、ありがとうございました。 また、学びに感謝です:heart:

Honesty is my policy!
いっすぅぃ〜でした。

失敗マンダラ

皆さん、こんにちは。大学院生の教育コーチいっすぅぃ〜です。

 先週、大学院に入学して探していた人、その方にお会いしてお話しすることができました。
そのお相手は『アクティブラーニング失敗事例 ハンドブック』を作成した先生。

 昨年の4月、入学して何をしたいか、の答えは「コーチングのエビデンスをとる」は当たり前だったのですが、他にも「第2言語習得理論を学ぶ」や「アクティブラーニングについての知見を深める」でした。そんな時、以前から目に留めていた「アクティブラーニングの<失敗マンダラ>」。その研究の切り口が斬新だなと感じ、お話をうかがいたいなと思い、また自分自身の研究について何かアドバイスの様なものをいただけないかと思っていました。

 そんなこともあり、入学してから、「どの先生が関わっているかご存知ですか?会ってお話をうかがいたいのです」と様々な先生にお尋ねをしました。ですが、会う先生尋ねる先生は、「知らないなぁ」「きっと○○へ行けば、分かるかなぁ」といったお答えばかり。研究者って同じ大学でも分野外のことは分からないもんなんだなぁ、総合大学ってほんとにいろんな分野があり、自身の勤める大学であっても知らないことが多いんだろうなぁ」なんて感じ、そのうち会えるかな、と忘れかけていたことでした8-)

 2月の頭に、親身にしてくださっている先生が『協同学習と動機づけ研究会』というものを立ち上げ、そこへ参加したときのことです。そこへ参加した先生にも、「ご存じないですか?」と訊いてみました。すると、「中川正先生だわ」と、お名前と所属をばっちり教えていただけたのです。

 あとは、この<所属大学の学生>という身分もあり、お約束をとることができ、お話をうかがうことができました:heart:

ここまでで、結構長くなりましたね。
ってことで、続きは明日:!!:

Honesty is my policy!
いっすぅぃ〜でした。

「生徒」になる

教育コーチの なお です

ホットヨガに不定期で通い始めました
単発で申し込めるので
集まる人はその都度違うし
初心者から数年通っている人まで色々

時間帯によって先生が違う

A先生
「次のポーズは〇〇を伸ばします」
途中で「いいですね〜」承認の言葉がある
「これが終わったら休憩入れますね」等
細かく次のステップを明示

B先生
冒頭で「ヨガは呼吸が大切です。呼吸が止まらないように常に呼吸に意識を持って行ってください。〜〜〜〜」注意点をまとめて指示。
「右手を〜〜左手を〜〜。これが〇〇のポーズです」
承認の言葉は全部が終わって片付けの時に「股関節柔らかいですね。大事にしてください」等

C先生
「はい、やってみましょう。これは体幹を鍛えます。体幹って大切ですよ〜〜」「〜〜これは背中を拡げます。背中って案外拡げることがなくって、背中が硬くなると〜〜」

ヨガの内容はほぼ同じですが三者三様で面白い

初心者の私はA先生がわかりやすい
体の事をもっと知りたい中級者はC先生がいいのかな?
上級者の人は途中の発語が少ないB先生がいいのかな?

「生徒」になるって大切ですね

おしょうさんの子育ち日記(3月その1)

教育コーチのおしょうさんです。

先日、上の娘の卒業式がありました。

卒業って、

不謹慎ですが、死別に近いなあと思いました。

過去にとらわれず、未来を見据えるための儀式のような気がしました。

本人もさることながら、

子供の成長を親に知らしめるためのもののような感じでした。

写真を見ても、それを痛感しますね。

20170318-image (1).jpg

もう、中学生。

そんなこと言っていると、多分、もう高校生、もう大学生、・・・続くのかなあ〜。

相手をどんな人と見ているのか?

埼玉の教育コーチ Gao!です。

風は冷たいですが、柳でしょうか、新緑が芽吹いているのをお堀端で見つけました。
春はもうそこです。

さて、教育コーチングでは、興味から相手に質問したり、傾聴します。
判断から質問したり、傾聴しようとすると、詰問になったり、コントロールになったり、コーチングが成り立たなくなります。

数日前、久しぶりに、判断いっぱいの自分、相手をコントロールしたい自分がいました。
モヤっとした気持ちがまだ残っていました。
今日歩きながら、自分に問いかけてみました。

「相手をどんな人と見ているの?」
・・・・・「無力な人」「自分では動かない人」「言い訳ばかりしてやらない人」「やる気のない人」

「本当に、相手はそんな人なの?」
・・・・・答えはNo!
相手の中にも、やる気はあるし、努力しようとしている面もある。
いい面も思い浮かんできます。

「やる気もあるし、努力しているけれど、邪魔しているものがあるとしたら、何だろう?」
・・・・・「言い訳として聞いていたものを、もっと受け取ってあげればよかったかも。。」

「本当は、どんなサポートをしたかったの?」
・・・・・「話をちゃんと聴いて、やる気を大切に育くんでいきたい」

「コントロールしたくなる気持ち、相手を責めたくなる気持ちも、愛情や責任感から来たもの。
そんな自分もそのままok!許すよ」

そして、自分がどんな人としてかかわりたいのか、原点に戻ることができました。

相手への興味も、また湧いてきたのです。

歩きながらの数分間でしたが、自分のための、「ひとり親力向上セミナー」になりました。

   

あの曲がり角のところで

皆さま、こんにちは。清志郎大好き教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 先週の金曜&土曜と、ある研究会に参加したくて東京へ行っていたのですが、その主目的のついでに、と沢山の友人と会うことができました:heart: 
まさに、♪BABY BABY お前に会いたい♪って感じで:!!:

 そんなときは余計に、今の自分自身があるのは、この繋がり、友人たちのお陰だな、と強く感じるのです。 そして同時に思い出されるのが、文学部キャンパス建物に入り階段を上がったところ。

 三重大学の中に探してみると、あるんですね。 ここは通路の奥。その角。 私の大学のときのものは、階段を上がった曲がり角のところ。 
 20170313-corner.jpg ← 三重大学のある曲がり角

 ソファーがあり掲示板があったのですが、いつの頃からか、掲示板にはノートが一冊ぶら下げられるようになり、授業の合間の場所。 待ち合わせの場所。 誰かがいるだろうと期待する場所:**:

あの場所に戻らなくとも、原点を見つめられる光景が自分の中にはある。 

 あなたの「原点の風景」はどんな風景ですか?

 Honesty is my policy! いっすぅぃ〜でした。

ガッツの幸せ日記??

教育コーチのガッツです

■忙しい!

ほんとうに忙しいです。

仕事メールの返信も通勤電車の車中。

帰宅が25時。

夕飯(深夜飯)をとり、就寝は3時。

起床は9時半、洗濯干して弁当詰めて12時前に出勤。

家族ともすれ違い。

でも、楽しい。幸せだ!

ほんとうに、今そう思う。

ありがたい!

明日も、明るく・元気に・前向きに!

精一杯生きていきます!

■追伸

選抜高校野球が始まります!

大阪桐蔭、キャッチャーいわもと君
神戸国際、ライトで3番かたおか君
滋賀学園、セカンドなかにし君

みなさん、応援してやってください!

「の間」の事 その2

超介です。

クライアントが問題解決に気持ちも、頭も向かっていて、それをコーチが感じている時はコーチングはスムーズに進みますが、そうでない時が結構あって悩みます。でもそれは、コーチの方になんらかの「強制」の意図が背景に潜んでいる時なのです。つまり、クライアントをそのまま承認できていないからです。「そんな状態ではいけないので、なんとかしてやろう」とコーチがどこかで考えていて、そこに立ってクライアントと対峙しているからです。

私の場合は塾で塾生と向かい合う時にそれがよく起こります。そして、その度に自分の立ち位置を確かめます。この人の今を認めて許し、そこからコーチとしての言葉を出すのです。「そうか君は……なんだね〜。」「うん…そうなんだ。」何回も、相手をありのままにみます。

時には、それからクライアントが自動的に動き出し次の一歩を踏み出します。そしてその時は、それを確認します。それを繰り返します。それを繰り返していくことでコーチングが進みます。

でもそう出来ないときもあります。何をすれば良いか、何をすることが可能なのかを悩みます。そして、見つけた事柄を試します。具体的なマニュアルはありません。私の場合は、コーチングに方法も、答えも一つではありません。そして、やりがいがあるのです。

の間の事

超介です。

コーチ自身が何かができること、と、それを相手に、その方法を伝えうること(相手に-伝えることができ,相手がそれができるようになること)「の間」には大きなギャップがあって、歯がゆい思いをよくします。

それには、クライアント側が「ここ迄はできるようになった、ここからはできない」ということが理解できていれば、コーチ側からすればあとは時間の問題で解決出来ます。「何があれば、それができるでしょう」というような方向でクライアントに問い続ければ良いからです。クライアントと試行錯誤して、問い続けていければゴールが見えてきます。

ですから、クライアント側に到達点が設定できてそれを目指せるか、とそれに対して今どこまできているかと、考えてもらえるかがポイントになります。そのためには、クライアントの気持ちがリラックスしていることが必要なので、安心して考えてもらえるように環境を整えたり、言葉がけをします。

クライアントがそのポイントに来ることができれば、人の持っている可能性は私が想像する以上に、大きく、子供達の変化にも(もちろん成人のばあいでも)驚かされ、そして感動させられます。

なのでコーチングでよく私が悩み、重点を置くのは、いかにクライアントとそのポイントを共有できるかなのです。