超介です。
最近良く夢をみます。大学を卒業出来ない夢です。卒業できていなくてあせりを感じています。授業が理解出来ない、出席していない、等で単位が取れないので卒業できていないのです。何年も留年してどんどん自分だけが遅れているのです。
このことと、様々な本を読む、英語の勉強をする、実家の農業をきちんと出来るようにする、という気持ちとは何処かで繋がっています。
何かができていない喪失感があって、それが時々無意識裡から夢になって顔をだし、それに突き動かされて学ぼうとするんでしょうか? それでは、喪失感のようなものは何なのでしょう?
なりたい自分になろうとするようにやって来れなかったからかもしれません。先日、10歳上の先輩と2年ぶりに出会い2時間ほど話しました。生まれた時代が10年違い、育った環境も私とは全く違う人ですが、そんな人からから、私がどう見えるのか、貴重な意見をいつもいただきます。
今回彼との対話から、生年である1955年及びそれ以降の日本の時代環境と、生まれてから身につけた考え方の両方が原因で、自分のやりたいことを探さずとも生きてこれたことと、喪失感とが結びついているように感じました。
それは、僕だけではなく異なる形で多くの人にもある気がします。多くの人は忘れているだけ、あるいは気がついていても無視しているだけかもしれません。当たり前になっていて、今更という感じ、僕が遅れて感じているだけかもしれません。
今ここで、時代のせいにしたり、生まれつきのせい、育った環境に理由を探すのは、それから自由に考えていきたいからです。自分の生き方がゆがんでいるのではないか、それを探る為です。僕は平凡な人間です。ありもしない天才的な才能を持っている人間ではなく、それでも自分をよく知りたいとおもっています。
キヨシです。
平凡な人間ってどんな人間だろうと
考えたことがあります。
結局いないのでは
ないだろうかと。
そら@内藤です。
学生に戻って、
やりたいこと一杯で
でも焦りがあって・・
超介さんの青春、再会ですね。
キヨシさん
たしかにそうですね。
振り返るとたくさんの
体験があって
そこからいろいろなものが
出てきそうです。
そらさん
なるほど青春、再会
そう考えること、できます。
ありがとうございました。