超介です
自らの目標を設定する時、 まず、到達できるかどうかを最初に考えてしまいます。が、もしすぐ到達できると感じられるのなら、それは目標ではなくて、途中の経過を示す指標のようなものです。もっと正確にいえば、目標は日常の、普段の延長上での思考からは生まれないのです。
できもしないことを言ってと、夢を一笑に付して否定されることがあります。或いは、まず現実的なこの程度からやれば、と好意からにしろ、相手を夢から引きずり落とそうとします。目標の設定の意味を知らないからです。こういう人をドリームキラーといいます。容易に口にするな、親にも、と子供達にそう言います。
新たな出発をするときや未知の世界にとびだすとき、これらは大きな 、大きな足枷になります。僕は再々、これらに捕まって、それも自らつかまり 身動きできなくなってしまい ます。自ら世界を狭く、狭くしてしまうのです。もっと、じっくり、時間をかけて、描けば良いのに。様々な言い訳を考えます。もうすぐ58歳になるんだし、歳だから、家庭がこうでとか、会社が 、上司が、 部下がとか、自ら作り出した今の環境を言い訳にします。
それでも、若い時は世界の方からどんどん新しい事項をつきつけてくるので、固まることなく、夢を持ち得たり、新たな目標を決めることができます。しかし、体験を重ね、一カ所にとどまるとき、そのままだと新しい体験が得られなくなり、既成の思考と行動の繰り替えしになりがちです。できることの繰り返しは安心です。生物として身を守るために安心を求め、安全を考えるのは本能で、その本能は自己弁護し、さらには不安な感情を作り出すことにより強固な防御壁を自らのうちに作り出します。同時に、若さが失われ固陋になり、時には環境変化に適応できなくなってしまいます。歳をとっても世界は広がるのに。
でも、この構造を知っていれば抜け出す方法を探し始めることができます。その方法は、出会いの中に隠れています。若い時、体験が少なかった時、新たな経験と出会いから学び、ドキドキし、楽しかった、誰もが持っている体験です。それは出会いのなかに、新たな世界を見出したからです。年齢などに関係なくできること。
一番多くを得られるのは、人との出会いからだと思います。私の場合はそうでした。多くの先輩によって影響を受けました。次には書籍による出会い。人との出会いは、向こうから、本との出会いは自分からでした。読書は多くの引き出しを私の中に作り、それらは、思考の枠組みとなったり、話題となったりして、次のひととの出会いの推進力ともなっています。
超介さん
人ももちろん、
見るもの、聞くもの、あるもの、
すべて出会いですね。
そこから得られるエネルギーや学び…。
出会いの推進力を感じています。
ありがとうございます!
キヨシです。
そうですね。
私たちの目標はいろんなことを
考えてできるだのできないなど
やる前から考えますが、
子どもたちは、とりあえずやって
みる。そして、自分に出会う。
人との出会いも自分との出会いも
大切です。
なみさん キヨシさん
ありがとうございます
出会いは様々な気付きを与えてくれるので
人生が新鮮になります。
エネルギーです。
推進体は私自身。