大阪市で講座開催します!

教育コーチのなみぞうです。

大阪市教育委員会様からのご依頼で、講座を担当します:**:

子どもの可能性をひきだすコミュニケーション

講師は足袋師@小山、私、なみぞうとかぽねもサポートに入ります。

宝石緑詳細

日程:平成25年9月30日(月) 10月7日(月)の全2回コース
時間帯:14:00〜16:00
場所:大阪市立阿倍野市民学習センター
定員:50名(先着順)
費用:無料

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こちらでもご覧いただけます。

お近くの皆さま、こんな機会はなかなかありません。

是非ともご参加ください。
そして、お知り合いの方々にも宣伝してくださいね:heart:

当日お会いできることを楽しみにしています:hahaha:

東北の旅

そら@内藤です。

我が家から、車で往復約1500キロ。
 松島 → 石巻 → 南三陸 → 気仙沼 → 陸前高田 → 大船渡 → 釜石を
巡ってきました。

 南三陸歌津 伊里前福幸商店街  
 
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 気仙沼 第18共徳丸

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 陸前高田 一本松
 
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 釜石港の朝

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 2年半で確かに復興している姿がありました。
 場所によって差がありました。

 住宅の土台だけが一面に残されている所には
 夏草が生い茂っていました。 

 2年半では癒せない思いを語ってくれました。
 頑張って生きている人がいました。

 

釜石にて

超介です

釜石市に行くことを決めて、旅行社で相談してみると市内での宿泊は難しい、行って探せばあるかもしれないが、ということであったので内陸部の花巻市に宿を取り、翌日太平洋目指して、釜石線に乗ることにしました。

松山から成田までジェットスター、東京までリムジンで戻り、東北新幹線で新花巻についたのは8月11日の午後10時半頃、釜石線は終電後、タクシーで花巻駅周辺の宿に入りました。

翌日、7時前に起床、食事をすませJR花巻駅に徒歩で向かい、1日パスの乗車券を購入。時間があったので郷里の両親向けのお土産を買って宅配を依頼しました。花巻市は宮沢賢治の地であり、駅前広場には頂上に風車を載せた高さ10メートル前後の銀色の塔が十数本あったり、釜石線が銀河鉄道になぞらえられていたり、賢治関連の施設展示が数カ所あるようです。

快速電車で釜石に着いたのは午前中11時過ぎ、駅前から海に向かって歩いて行きました。駅前には新日鉄の工場があって、普通の地方都市の風景ですが、1キロ程も歩けば空き地があちこちに現れてきます。瓦礫はきれいに片付けられていますが、建物の跡地が点在しているのです。そして1階が破壊されたまま残っていたり、1階はもとより2階も板が打ち付けられたままのビル、更には数十センチも曲げられた鉄骨がむき出し、壁も破壊された空きビルやらが現れてきます。

海岸近くではガソリンスタンドも営業中であり、護岸内では漁具を片付ける人たちもいて日常の生活は感じられます。でも多くはなく、とくに行き交う人は本当に少ないのです。真夏の昼近くであったこともあるでしょうが。何かの庁舎の壁面に津波時の波の高さの掲示があって、それは2階の天井の高さでした。

その高さを見ていると、海の広さ、甚大な容積に比してこの陸地の儚さが感じられてきました。深い深い海の底の、地球の大きさに比すれば、ほんのちょっとした振動があって、それが起因して起こった津波の高さが、そこでした。もし巨人であるのならその視線の高さから、海の縁のほんのちょっとした高さの位置に広がるこの陸地のあやうさが感じられるかもしれません。今の私の背丈からは、がっしりとしたこの街を守っている堤防やら人々が住む(住んでいた)建物の頑丈さがかんじられるのに。壊滅的な打撃を受けたこの街の2年半後の姿を見て得られたものは、やはりまだ言葉にはなりません。合掌。

帰りは、銀河鉄道になぞらえられた釜石線を2両編成の普通列車で花巻目指して、戻りました。途中炎天の為か、後ろの車両が故障、(ワンマンカーであったので)車掌さんが一人で30分ほど奮闘されるも、修復せず前方車両に牽引されて移動。でも誰も文句言わず、また、冷房も効かず照明もつかないので『前方車両に移動を』と呼びかける車内放送にも応じる人は数人だけでした。

途中1時間余裕があったので、遠野の駅名を見て思わず下車しました。民俗学の柳田国男の遠野物語の地です。駅前のカッパ、信号のてっぺんの和服姿の少女の像やら、焦げ茶色の木で作られた建てものが立ち並ぶ街並みは釜石の街並みとは対照的です。でも、遠野に伝承されている物語の原点には大きな悲しみやら事件があったのかもしれません。時が過ぎ人の口を経由されるうちに事件が物語化し、残っているのかも。そのように悲しみも時の流れにより鎮魂化されるのでしょうか。

絆、波来(はらい)の地の石碑

超介です

『 絆』とてっぺんに刻まれた高さ7,80cm程の真新しい石碑がありました。
前面に『波来の地』と刻まれ、側面には4行に亘り次の文言が刻まれています。

『大津波がたどり着いた果て、波来(はらい)の地、
犠牲者への鎮魂と慰霊の思いを込め、
災いをはらい、復興支援者への敬意をはらい
永久に注意をはらい続けることを願ってここに刻む』

仙台から石巻市迄のJR仙石線は、途中の日本三景松島駅からは復興中のため連絡バス、矢本駅で再度、列車に乗り路線の終点、石巻市につながります。沿線風景の中に小さな川の金属製の手すりがぐにゃぐにゃで曲がったままのものであったり、元一帯が水田らしき地帯が小川やら、道路を1本隔て、草地であったり、海際の山間が造成中であったり、震災の跡が随所に見受けられます。

冒頭の石碑に出会ったのは、石巻市。旧北上川河口の、震災前は家々でびっしり埋まった市街地の、大津波がきて街の一切を破壊し尽くして去って2年半の今、石碑は、まだ、今は未だ草原のまま、全く、くさはらの地の南浜町、門脇町のその、夏草茂る住宅跡地横の路端にあります。車輌が離合するのは難しい程度の道にあえて建てられたのは、まだ真新しい石碑なので、この先の復興の見通しのなさ(海に臨界する土地でかつ、地盤沈下もひどいようです)から、ひょっとしたら、それならば 通行の邪魔にはならぬ、と思われてあえて道端に建立されたのかもしれませぬ。

駅から、商店街を何通りか徒歩で過ぎ、日和山の頂上まで炎天下、迷いながら1時間ほどかけてたどり着きました。木々の間から眼下に広がるのは青々とした草地と点在する人気のない幾つかの建物。駅前の観光案内の人に教えてもらった急な石段ーこの石段を2011年3月11日にたくさんの人々がかけあがり、頂上の公園から街が濁流に呑まれていくのを見ていました。公園は避難民でびっしりとうまったそうです。その時の人たちの気持ちをじっと想像し・・・・・・ーこの石段はかなりの急な石段で体力のないお年寄りや子供達は息をつきながら登ったことであろうと、そう思い、蝉時雨の中、降りて行きました。

降りていく途中は急傾斜と周囲の木々のため真夏の晴れた午前11時過ぎであるのに薄暗いのです。階段をおり切った下、すぐ左手は墓地。倒れたままの墓石、新しい墓石、お盆前でもあり、被災地の親族に違いない2,3の家族連れがきています。その墓地の周囲も、向こうも草だらけで、その中を草原に似つかわしくない広さの道が通ってますが、それらは草の背丈により、数十m先はみえません。その墓地を通り過ぎて数分歩いた時、『絆、波来の地』なる石碑に出会ったのです。

震災後、現地も、私も少し落ち着いたら東北にいくことを考えていて、ようやく、約2年半後の今月、8月11日から14日にかけ、内陸の花巻、仙台を拠点にし、主に釜石市、石巻市に行くことが叶いました。 幸い私は、天災の少ない穏やかな瀬戸内の四国松山で40年間暮らせました。被災の地に行き、その地で見て感じつつ考えてみたかったのです。たくさんのものと出会いました。それらはいつか、はっきりした意味を持つ言葉になってくるのです。そのための東北行きでした。

あんみつ日記

こんにちは!あんみつです。

連日の暑さと慌ただしい毎日で夏バテ気味=:[
でも、暑さに負けている場合じゃない!
しっかり食べて、寝て毎日元気に過ごそう:!:

そんな中、半年ぶりに体の痺れがきた=:[・・
だめだ!早期治療だ。
ずっと、荷物置きになっていたマッサージチェアのお世話になるか。
お久ぶりです。チェアさん、よろしくお願いします。
最近、健康グッズばかりに頼っている。 
肩・首すっきりストレッチピロー、これは体がシャキン!
一日の疲れがとれる。

この夏、色々な小学校の先生たちから子どもたちの素敵なエピソードを伺った:heart:

「どうしてお花には茎があるのかな?」という質問に
「お花をプレゼントする時に持つところがないと上手に渡せないから」って。

6年生が1年生にお世話をする異学年交流で
1年生は6年生のお兄さんやお姉さんに憧れを持つ。
受験のプレッシャーからか不登校になった6年生に1年生が手紙を書いた。
「学校のお兄ちゃん、また遊んでね。」その短い手紙で6年生は学校に来るようになったそう。

子どもたち一人ひとりの良い所を学校で伸ばしてあげたいと
仰る先生方の表情はキラキラ輝いていて、夏バテなんか感じさせない:-D
よし! 健康グッズに頼りながらも頑張るぞ:-D

意味を作る

超介です

子供が生まれて成長して、親と対立する時を子としても親としても経験しました。また自分以外の人のそれとも、たくさん遭遇してきました。親子に限らず対立の場面は沢山あってそれを通り抜けて人生が進みます。

厳しい対立ほど理由があるのでそのまま向き合っても解決せず、その意味を”作る”ことが必要、有効なのではないでしょうか。何故こんなに、この子に腹が立つのだろうか、或いはなぜこの人とうまくいかないのだろうか、とちょっと離れて考える。そうして、その事が私達に何を伝えようとしてるのだろうかと。対立の場面で、行動する時、それを考えます。ぞの上で向き合ったり、ときにはスルーします。

意味は見つかることもあるかもしれませんが、困難な時ほど創造することが意義があります。対立の原因探しよりも、意味作りの方が楽しいしやりがいがあります。

有効なことは、直接現場に向かうことだと、何度も思い知らされました。その場に居合わせることからたくさんの情報が得られるからです。マイナスの感情を感じつつも、ちゃんとそこに向かえば、分かることがたくさんあることをいつも経験します。

おしょうさんの子育ち日記(8月その1)

教育コーチのおしょうさんです。

先日の地区の夏祭りに3年ぶりに

家族で参加しました。

屋台や露店も、地区の人たちの手作りです。

金魚すくいも、ワタあめも。

浴衣を着るとはりきっていた娘2人。

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変なポーズも板について?、

楽しみました。

夏祭り終了後、我が家には

水槽が1つ増えました。

金魚すくいで、とった(いただいた)2匹が、鈴木家の仲間入りです。

自分軸を磨く(情報の断捨離)

 超介です

 1日の間に机上に担当書類が社内から数通たまり、郵送物2,3日に1,2通、メールがプライベートを除いて20通程(削除が多く、開くのは1/3以下ですが)、電話5〜6件程度、来客は数日に1,2件等々の情報に囲まれています。(もっとたくさんの情報に囲まれている時もありましたが、今は少し減って)この程度の量の情報。でも、ほうっておくとたまっていって、方々から問い合わせが入るので、なるべくためずに処理して1日を終わるようにします。

 仕事をほっておくと、いつの間にかやらない言い訳を探し、つまり、被害者意識が高まってしまい、結局生産性がおちるので、仕事をためない、これを心がけます。自分軸で情報を裁いていく、という感じ。話題になっている(なった)断捨離と同じです。目的を考えて(自分で決めて)手元にある情報を眺めなおし、一歩進めて放つ(結論を出して自分の手から離す)、のです。手元には自分が対応すべき項目を作らない、いつも脳のメモリーを空っぽ(それが理想)にしておきたいのです。メモリーは考えるときのみにフル回転で使えるようにしておきたい。(たまっているとフル回転しないので)

 そして、そのためにも処理能力を高めるため『7つの習慣』にいう『7番目の習慣:刃を磨く』を心がけます。修行の時間を毎日きちんと持つこと。修行で磨く技は実生活を支えてくれます。英語の勉強をしても英会話を実生活で使うわけではないのですが、でも、たとえばそれは言葉を伝えるセンスに好影響を及ぼします(そういう気がするのです)。たとえば、リスニングのトレーニング(英文を見ないで、ネイテイブのCDをシャドウイング(聞いた直後に発音をする))をしていると、集中して英語をそのまま聴く(翻訳しない)ので、コーチングでいう『一緒に居る』と同様の感覚を体験できる, ように思います。言葉をそのままに受け入れる練習です。

 だから英語を学ぶ目標を 英語の原書がスラスラ読めること、とします。

 新しい自分軸ができるように思えるのです。

 (錯覚かも・・・)

ガッツの幸せ日記??

■苺のパンツ:**::**:

これでぴんときた方は歴史の成績「はなまる」ですね:hahaha:

:star1.0:苺のパンツ→いちごパンツ→いち・ご・パン・ツ
 →いち(1)・ご(5)・パン(8)・ツ(2)
 →1・5・8・2→1582年

そうです、:star1.0:『本能寺の変』 がおこった年です。

本能寺の変は1582年6月21日(天正10年6月2日)、織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし
京都本能寺に宿泊していた主君信長を襲い自殺させたクーデターのことですね。

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毎年、うちの塾では本能寺会館(ホテル)で8月9日〜12日まで小6夏期合宿を行います。
ということで今日が合宿の初日、「幸せ日記」も8月9日は3回目です。

〜〜〜
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:-P先日、次男と本能寺を訪れました。

次男は戦国武将が好きで信長も御ひいきのひとりです。

ちなみに 彼のなかの一番人気は:**:“真田幸村”:**:です。

真田幸村のどこがいいねんと聞くと
 :star1.0:『最後まであきらめないところ』だそうです。

なかなか深いな・・・

■追伸
年代の語呂合わせ、少しおもいだしてみますか?:roll:

・無事故(むじこ)で終わった大化の改新。
  ⇒645年 大化の改新 「む(6)・じ(4)・こ(5)」
・人の世むな(ひとのよむな)しい応仁の乱。
  ⇒1467年 応仁の乱 「ひと(1)・よ(4)・む(6)・な(7)」
・以後よく(いごよく)広まるキリスト教。
  ⇒1549年 キリスト教伝来 「い(1)・ご(5)・よ(4)・く(9)」
・いや、こわ(いやこわ)い!修好条約不利ばかり。
  ⇒1858年 日米修好通商条約 「い(1)・や(8)・こ(5)・わ(8)」
・行く行く(いくいく)ベルサイユ。
  ⇒1919年 ベルサイユ条約 「い(1)・く(9)・い(1)・く(9)」

 :!!!:さて、どうでしたか?

通い婚

教育コーチの なおです

夕方の地震速報には 驚きましたが
誤報でよかったです:ase:

さてさて我が夫
仕事の都合で平日は隣の県
週末は広島で過ごす生活10年になろうとしています

はじめは、単身赴任
その後 出稼ぎ
今は 通い婚 って言ってます

同じ状況ですが それぞれに響きが違う:**:

今後どんな呼び名になるのかな?
楽しみです:hahaha: