超介です
暑くなりました。
冷房のよく効いたカフェで暑さを忘れて読書をするとついつい夕方涼しくなるまで居続けることがあります。本の著者とのみ会話をするかのように過ごす、集中できる時間は楽しみのひとつ。
最近”出合った著者”にローマ帝国の皇帝『マルクス・アウレーリウス』がいます。
書籍名は『自省録』(岩波文庫:神谷美恵子訳)
2000年の時空を超えて、ローマ帝国の皇帝の心の内側が透けて見えます。『自省録』は、彼自身が多忙な皇帝としての執務や、従軍の合間に自らへの語りかけの、戒めの言葉を集めたものとされています。
自省の内容は、当時のストア派哲学がバクボーンにあって、(私には)分かるとはとても言えませんが、でも言葉のつながり具合、使い方から、特に『君』と呼びかける対象が皇帝自身であることから、哲人皇帝の誠実な姿勢が伝わってきます。
世の事象やそれに対する考えを、自分の心をさぐり言葉を見つけ、あらわして、確立しそれでよいか、と問いかけているのです。それらが時空を超えて何故私の心に心地よく響いてくるかは、おそらく(ある私の)期待からだとおもいます。
何への期待か、といえば、それは身の回りでおこることがらには、すべて意味も、流れもある、そして、それらを理解した方が、目的に叶う生き方ができる、その可能性への期待です。
『 意味のないことは起こらない 』 はずだから。
時空を超えて哲人皇帝のことばが心地よく伝わってくるのは、かの人が自身の心をみつめ、それで何をどうするのか、決めて行動しようとすることに共感するから。
このようなことは、書かれたものにとどまらず芸術作品からも、また遺品からも感じます。
正岡子規の出身地である松山には子規の遺品がほうぼうに残されていますが、時に彼が使っていたノートを見に行きます。そのノートには三平方定理の証明が細筆で丁寧に写されているのです。それをじっと見ていると、正岡子規の学びが想像できエネルギーを感じます。過去の人々の行動の軌跡からはたくさんの感動とヒントを受け取ることができます。