一期一会

 皆さま、おはようございます。
 某公立高校で3年生の担任をしている、教育コーチのいっすぅぃ〜です。三重県の公立高校では、3月1日に「卒業式」が行われました。

 今年も、私のクラスの保護者のみなさんには<わが子への手紙>を依頼しました。詳細は、『コーチングフェスティバル記録集』に譲ることとして、今年の卒業式の日を報告します。

 今年はびっくりでした。式が終わり、学年担任団から保護者のみなさんへの挨拶が終わり、生徒の待つホームルームに行こうとしていたところでした。生徒が「先生、まだ教室に入らんといて」「こちらにはこちらの準備ってもんが」と足止めされました。

 なんか、企んでるんやな:heart:

 と思いながら、そのあまりにも慌てた様子がかわいくて(男子生徒なのですが)、おぉ〜楽しみに待ってるぞと、数分間廊下に。
 入った先には、プロジェクターが。 「先生はこの真ん中の席なぁ〜」と。 フォトムービーを見せてくれました。

 先生泣けよ、先生感動せ〜よ、の期待と言葉がいっぱいでしたが、その期待には応えず8-)

 一人ひとりに卒業証書を手渡しながら、一言ずつ。
今、思うと、こんなことが出来たのは初めてのことでした。そんなのドラマの一コマにしかならないと思っていましたが、ここにありました。:wink:

 「最後に、僕からもみんなにプレゼントがあるんや。みんなの親御さん、一人ずつ、手紙を書いてもろたんや」と、お待ちかねの手紙を最高の瞬間、シチュエーションで手渡すことが出来ました。

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 この日の夜、クラスの殆どの生徒が集まり焼き肉を食べに行ったようです。そして夜中、室長からメールが届きました。「クラスの集まりも楽しく終わり何のトラブルもなく無事に終わりました」と。
 その途端に、「あぁ、あの子たち全員が集まるのは今日が最後だったんだ」という実感が涌き出してきました。なんだか、今日のあの時間をもっと大切にできたかもしれない、という思いとともに。

 だから、今日のタイトルになりました。

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 〜〜実は、びっくり企画にしてやられ、生徒全体に話そうと思っていたことが、まったく話せず。その日の夜に、全員にメールで手に渡るようにと、室長にお願いしたのでした〜〜

「今ここ」その2

 超介です。

 「今ここ」にある自分の気持ち、状況をしっかりと認識できたときに受身ではなくて、次の積極的な行動が取れる、ということが分かりました。それは(おそらく)どんなにつらいときでも、そのような能力、資質を人間は持っている、ということが分かったということです。

 学びのタイミングは最悪の状況のときほど良いのかもしれません。だから死ぬなと、子供たちに伝えたいと思うのです。いじめ、体罰等のニュースを見聞きしたときにとそう思うのです。

 レジリエンスという、逆境に耐え抜いていく力の源泉は何処にあるのでしょうか。世の中にはそれを強くもてている場合(人、状況)とそうではない場合があるようです。私自身の体験でいえば、小さな逆境(順境ではないけれど、少し弱い逆境)を潜り抜けていくうちに、その人の中にレジリエンスの種がまかれ育っていくように思えます。

 その種(タネ)の一つは「我慢」の体験かもしれません。たとえば小学校入学するまでコーラーは飲ま(せ)ない、誕生日とクリスマスだけにケーキを食べる、とか。生命にかかわりのないものを一定期間我慢す(させ)る様な体験。或いは自然の中で生活する体験―電気も水道もないところで冒険をして過ごす体験とか。受験もひとつのきっかけになりえます。

 また、レジリエンスは自分を客観視できる力とも関係があると思います。逆境(と多くの人が思う状況)を見抜き、時間・場所・対象等々の環境変化を待ったり働きかけたりできる力、見通し、目標、ビジョンを描く力らとともにあるのです。

 生涯をかけてそのような生きていく力(戦っていける力)を磨き続けていこうと思います。

「今、ここ」

 超介です。

 2月は本当に早く過ぎていきました。能動的に行動して経験知を増やしているとき、節目に時間の経過が早かったと感じられることがあります。受身の行動ではなくて、チャレンジで、E(estimate)→P(plan)→D(do)→C(check)→T(taste)のサイクルをまわしつつ動けていれば進化も成長もある忙しさですが、さて私の2月は・・・・?

 学びでは新しいことを2つ、少し無理かなと思いながら始めたのです。が、やってみるとまずまずいけそうと、・・・。そういうことは多いですね。もう少し時間が経過して成果がでれば書きたいと思います。何事も継続できれば、あらたに分かること、見えることがより明確になるとおもえるので、そこまでいけばかくネタにします。3ヶ月、半年と続けるとネタにもなるかと・・・・。

 3年間ほど出席を続けているセミナー(といっても2ヶ月に1回2時間程度のセミナーですから、受講時間は合計30時間程度)があります。産業カウンセリングのセミナーです。職場のメンタルヘルスのための講習会ですが最初は交流分析、ABC理論等のさまざまな心理学の紹介から始まり、今年は傾聴体験を中心としたより実践的な内容でした。はじめは緊張もし、内容もなかなか理解しにくかったのですが、今では楽しみになりました。

 2月中にあったセミナーのテーマは「今ここでの話をする」でした。講義が70分、ワークが30分程度でした。これまでもセミナーのトレーナーは「今ここ」について何回か繰り返されたのですが、今回は、私には「今ここ」という言葉が心の中に入った気がしたのです。ピクンと浮きが海面下の魚の行動に反応したかのような微妙な感じ。タイの一気のあたりではなく、最初のチヌのそれのように。

 それは、「今ここ」に生きていることをどう感じ、考えているか、そこに立脚できていれば「よい」と直感的に分かるからです。でも「よい」というのは「そこから始めればよい」ということなので何か、「それで満足」ではなく・・。流れで捉えるのです。

 ちょうど人間の肉体(実は世界の全てがそうなのですが)の本質が福岡紳一さんの書物にあるように「動的平衡」という見方 「肉体も、分子・原子が入って、出ていく、ひと時もとどまらずに、身体はその流れの「よどみ」のようなものであるという」に似ています。健康的に生きるということは、この身体に入り、出て行くこの物質の適切な流れをコントロールすることです。このことは半年間のプチ断食の体験から実感しました。

 「今ここ」に話を戻すと、「E→P→D→C→T→E→・・・・・」のサイクルをしっかりと自覚して生きていけばよい、という感じなのです。そうであれば進化し成長することができるということです。たぶん。自己の内側を眺めながら、常識にとらわれすぎず、他者の目を意識しすぎず、時には自己を無意識に縛っているものに挑戦しつつ、体験を重ねれば進んでいけるという・・・・・。

 長々と書いてしまいました。
 ここまで読んでいただきありがとうございました。