超介です。
日露戦争当時、松山ではロシア人捕虜を数千人迎え入れました。家族をロシアとの戦争でなくした人もいる中で、敵国の捕虜をどのように迎え入れるかについて多くの対立がありました。
しかし、捕虜と松山人との交流は2国間の戦いの最中にもかかわらず行われました。根底には四国人のお遍路さんに対する「おもてなし」のこころがあったといわれています。
道後温泉でくつろぐロシア人将校、松山中心部の商店街「大街道」を散歩する将校、地元住民との自転車競走等の写真が残っています。
そして、平成の今も生涯をこの地で終えた人の墓地、「ロシア人墓地」の清掃が、市民やら中学生により行われています。
松山城二の丸にあった泉のあとからは約100年間眠っていた金貨が発見されました。その金貨にはロシア人男性と、日本人女性の名前が彫り込まれていました。
このことから「誓いのコイン」というミュージカルが生まれました。目に傷を負った青年将校二コライは、日本人を憎んでいますが、篤志(ボランティア)看護婦であり、ロシア語が話せるサチの献身的な介護により心を少しずつ開いていきます。
(このパンフと一緒に写っているのは伊予柑、今旬です。ジューシーで香りよくおいしいです)
そして、2国をつなぐ架け橋になろうと、将来を誓い合う2人でしたが、それぞれの事情で許されず、必ず迎えに来るといって二コライは母国に帰ります。が、数ヵ月後に二コライの訃報がサチの元にとどきます。サチは二コライから預かっていた金貨のペンダントに思いをこめ泉に投げ入れます。
日本人であること、ロシア人であることを超えて、人としてのつながりを追い求めることが大切であると気がつき、2人はそのことを追及していきます。厳しい現実あろうと、その人の心の真ん中にある思いを確かめ、夢を、目標をもって生きていくことの強さを示してくれるミュージカルでした。
次の歌が繰り返されます。
この星が出来たとき/国境はなかった/国境が出来たとき/争いがうまれた/
国と国をへだてる国境は/消せないけれど/人と人をへだてる国境を/
越えていこう/
心の国境を越えたい/力ではなく愛の歌で/心の国境を越えたい/
灯火かかげ自分の足で