超介です。
人の未来について考えたり、話したりするときに、自分の考えの伝え方が少し変わりました。
「個人の自由と尊厳」を尊重する立場は大切です。それについて考えるきっかけになった小説に出会いました。それが、この「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク)です。世界中でよく売れたようです。読まれた方もいらっしゃると。
15歳の少年ミヒャエルと36歳(21歳も年上)の女性ハンナとの恋愛という衝撃の場面から始まります。が、ある日、突然ハンナが消えてしまいます。そして数年後に、大学生となった彼のまえに、裁判の被告として彼女が姿を見せます。ミヒャエルとハンナが出会う前のことでした。ナチの収容所で女性の看守としてハンナは働いていたのです。収容所が火事になり、たくさんの人が亡くなりました。その事件におけるハンナの責任を問うものでした。
収容所の看守という立場での行動について、ナチスが崩壊した後、個人としての責任を問われます。体制の中で、火事の際、囚人を解放しえなかった状況について、彼女は裁判官に問いかけます。「もしあなたが私の立場であったならどう行動しましたか?」と。裁判官はこたえを回避します。
その裁判で彼女は他の看守より、もっとも重い判決をうけそうになります。ところが、自分の「あること」を開示すればおそらく無実が判明し、罪は軽減されるのに、そのようにしようとはしません。それを知った大学生のミヒャエルは、自分が開示すべきかどうか迷います。そして、父親に相談したり、裁判官に面接をするのです・・・・。
「おまえが良いと思い、相手のために、その人の立場に立って考え、その上で助言をしたことでも、相手の人がそう思わず別の判断を示すこともある。おまえは、相手がどちらを選ぶにせよ、相手の選んだ道を尊重するし、そのことを『どちらを選ぶにせよ、私はあなたの選択を尊重します』と、相手に伝えることだ。」と、ハンスの父親は息子に語ります。
父はミヒャエルに「個人の自由と尊厳の尊重」することを具体的に語りました
それから、月日は流れ、ミヒャエルも幼馴染との結婚やら離婚等を経験します。が心の底にハンナへの想いがあることに気がつき、それを抱き続け、服役(無期懲役囚としての)中の彼女にさまざまな書籍の朗読テープを送り続けます。彼女の「あること」とは「文字が読めない、書けない」ということでした。ハンナは模範囚として生活し、みんなの相談を受けたり、文字を学び始めて、手紙を彼に書いたり、その後、また孤立したりします。そして恩赦を受けます。開放される前日、ミヒャエルと再開を果たします。しかし、彼女はその直後自殺、・・・・・。物語は意外な結幕を迎えます。
「朗読者」の内容は以上です。私はこの小説の中の「物語」の意味を見つけようと、特にハンナの自殺の意味を考え続けています。
世界は時間的にも空間的にも構造化されています。「意味の無いことは起こらない」という意味は、たとえば人が生きてつらい体験をする時に「あなたにはつらい体験であろうと、その意味づけをすることができる」と捉えることができることだと思います。そして、生まれてから死ぬまでのプロセスを豊かな物語にできるのです。一旦その物語に気がつけば、人生の意味がわかり、より自由になれるとおもうのです。その自由をもって、再度生きなおし、その人にとってより良い物語を再創造できると思うのです。人生を「良い仕事にできる」ようになると。
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私は幼稚園の展覧会でみた、幼児の描いた絵が、自由に伸びやかであることと、「個人の自由と尊厳の尊重」ということがうっすらとつながっていることに気がつきました。
私は、その絵は子どもたちの人生の「物語」であると思ったからです。