超介です。
俣野温子(マタノアツコ)さんという美術家を知ったのは愛媛県今治市にあるタオル美術館でした。地場産業振興のために作られたその建物はタオルの製造工程、ムーミン展、俣野さんのコレクション(タオルをつかったアート)等の展示を見ることができ、タオル製品のみならず愛媛のさまざま加工品が販売されています。今治市郊外の朝倉というところにあります。
これがタオル美術館、大きくて立派な建物です。鄙にはまれな・・・というような。
俣野温子さんの作品は何室にもわたり展示されています。たくさんのタオル地で作られた実用品の衣類、小物、それからアート等が展示されています。その中の2つの詩に心を奪われました。
ひとつは「海の住処」という、音楽と詩と映像(アニメ)をくみ合わせたもの。照明が落とされた空間に大きなスクリーンがあり、そこに数分間の物語が繰り返し上映されています。ソファにすわり、リラックスして視覚と聴覚 を開放していると、命のつながりとそのはかなさを主題にした物語からは、あたたかいような、かなしいような感情がうまれてきます。
もうひとつはタオルができるまでをうたう詩です。地にまかれた一粒の種が芽を出し、根が生え、花になり、摘み取られて糸になり織り込まれてタオルになって、・・・という物語がタオル地に文字でかかれているのです。
その中ほどにあったフレーズで す。
雨はあなたにやさしかったですか
風はあなたにやさしかったですか
ひとはあなたにやさしかったですか
というところを何度も読み直しました。愛情があふれているからです。
この美術館の入り口ではタオルの製作過程を見ることができます。綿のかたまりから細い細い糸がつむがれ、それがより合わさり、少し太めの撚糸になります。その糸巻きが数十本も横に、かつ4列に並べられた機械があります。糸巻きの群れを搭載した機械からは、模様がえがかれる様に設計された動きからのカシャカシャという音が聞こえてきます。設計された模様にあわせた楽譜を演奏す楽器。出来上がるタオル地により奏でる歌が違う のです。
何十本もの撚糸が糸巻きから少しずつ、2,3メートルの高さまでひきだされ、それから人の腰くらいの高さのところまで降りてきて、縦、横に織り込まれ、タオル地が出来上がります。たくさんの綿と糸、そして撚糸の糸巻きが縦、横4,5メートルほどの大きな3種類の機械をとおるうちに、触りのよい、やさしい大きな布が出来上がるのです。
か細い糸が人をやさしくぬぐったり、包んだりすることができるタオルになる過程を見ていると、ひとのために作られる製品にやさしさが織り込められているように思うのです。
さらにこの詩ではその前の一粒の種が育っていくところからをうたうっています。タオルという製品の心を言葉で表しているのです。
俣野さんも 心を言葉で表すこと について書かれています。あるとき魔法のように心をうつす言葉が出てくるようになったと。
名文を繰り返して読んだり聴いたりして耳に慣れさせて、どこかでそれを聴いたり、見たりしたときに新鮮な感覚がおこります。
リーディングをし、声に出して文章を読んでいる自分を意識すると、その読んでいる言葉の奥に織り込まれている想いに気がつくことがあります。
少し前までは気がつかなかったのに、あるときから言葉に心が敏感に反応することがあります。それはその人の中で何かが変化したからです。
会話の言葉でもそうです。人が発する言葉を受け止めることができず、素通りしてからしばらくしてその意味がわかったり、でもそのときにはもう遅かったり・・・・・。
そして、もっと丁寧に読んで、聴いて、話して、書こうと思うのです。
キヨシです。
人が発する言葉を受け止めることができず、
素通りしてからしばらくしてその意味がわかること。
その時は、なかなか届かないけれど、後になってって
ありますよね・・・。
どらごんです。
超介さんの、
このブログの文全体が
愛情にあふれてるって
感じました。
あったかい気持ちです。
ありがとうございます☆
そら@内藤です。
タオルが芸術になるなんて考えてもいませんでした。
確かに自然の恵み、人の手、人の思いがあって
出来上がっているのだから、
タオルに深い命を吹き込む人がいても当然なんですよね。
気づかせていただきました。