ふるさと丹波から(その2)

ふるさと丹波で夏祭りにいき童心にかえりました。そこは 四十戸ほどの小さな集落です。
私がすんでいたころは小学生が20人ほどもいましたが、40年後の今は数人しかいません。

それでもお盆になれば、里帰りをする人の家族たちでにぎわう夏祭り。子供も20数人はいます。
40年ほど前の子供たち(つまり今は50代の大人たち)が中心になって盛り上げてくれました。

ホールインワンゲーム、牛乳瓶のふた飛ばし、ビンゴゲーム、花火大(小?)会・・・
幼馴染と今年も話ができました 
「小さいころはやせっぽちだったのに貫禄が出てきたね。」
(そう、昔の僕とは違うよ・・・)など思ったり。

お盆前には生家の庭木の枝を打ち払い、さっぱりと。
緑と空の青さが際立つようになりました。

13,14日は御詠歌をあげたり、お寺さんに来ていただき仏事をこなします。

お盆明けには、秋に向けて農機具(コンバインとトラクター)の手入れを済ませました。
(年老いた両親の未完了の仕事になっていたようです。)

(松山の)自宅に山積みになっていて、
そのままであれば古書店に行ってしまう運命の本を救うべく
(家人には)こっそりと帰省毎に生家に持ち帰り、2階の書棚に並べ、
ゆりいすをおいて、そこで読書にふけります。
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ふるさとでは、活性化のためのさまざまなイベントが行われていて、
めぐっていくといろいろ発見があります。

丹波竜を見にいきました。2006年に恐竜の化石が発見された町、残念ながら
その日は展示場所等がお休みでした。
それで、化石を探した後の石を拾ってきました。つめの先ほどの小さな化石も見逃すまいと
細かく砕かれて数ミリサイズになっています。

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左がその石、つまり恐竜がのし歩いていた時代の土の化石、今から7000万年前から
1億数千万年前の時代、悠久の時の流れの、針の先の先の・・・・先っちょ数十年のわが身。
逆に、そのわが身を構成する分子、原子をさかのぼり、さかのぼりすれば、悠久のときを越え恐竜の時代のこの土とつながっています。

そのことを考え始めるといつしか思考は浄化され意識がどこかに・・・・・・。

One thought on “ふるさと丹波から(その2)”

  1. キヨシです。
    故郷に帰られて、懐かしい友にあって。
    お盆のお休みって感じがします。

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