子供たちからたくさん学んでいる超介です。
かつて出会った会話の少ない小学生の話です。お母さんと面談した時にも、そのことが話題に出ました。国語は苦手でした。言葉を出さないので、さもありなん。話はしませんが、動作はてきぱきしていました。口はほとんど動きませんが、目は動きます。目で会話するのです。私が話しかけると、彼は表情で答えるのです。もちろん笑いもします。
私は、『もう少し話そうよ。』と言ったりはしますが、でも彼とのコミュニケーションはきちんと取れているように感じていたのです。意味のない会話をするより、よほど本質的なやり取りができます。「言語による会話の情報交換は全体の17%」でしたか、それぐらい、というのがよくわかります。彼とのコミュニケーションがそれを証明してくれました。ストレスはありませんでした。それよりじっくり感じることができるので楽しいくらいでした。
日常の会話を振り返る時、意味の含有量の少ない言葉を発する時があります。建前だけから出てくる言葉であったり、思いつきであったり、その場しのぎであったり。それが、有効な場面もあるかもしれませんが、混乱したり疲れたりすることのほうが多いのです。意味のない言葉が多く飛び交うより、沈黙のほうが価値あり(と思います)。
彼とのコミュニケーションに戻ります。もちろん、話をしないので彼自身の自己主張は弱いのです。でもそれは彼がなにも考えがないことを意味するわけではありません。何かをもっている人、のように感じていました。言葉は少ないですが、強い個性の持ち主だったのです。
目、表情でコミュニケ―ションを続けながら、彼が気持ちを開いたり、考えを深めたりする様子を見ていました。今は、話をしているようになっているかもしれません。
キヨシです。
何も言わないことは、何も考えていないのではなく、
伝えることがうまくできないだけなのですね。
何かしっかり。
みんな考えていますよね。