出会いから

人と出会うたびにその人のこと、自分のことを想像するようになった超介です。

10歳年上の人生の先輩。話好きである。話を聞いてほしいのに、言いたいことをどんどんいう。途中で彼の話を遮って、そのことを伝えても、わかってもらえない。最初は聞くことができたが、繰り返されると聴くに堪えなくなった。私は、自分を薄情な奴だと思った。(たまに会わないと、会いたいと思う相手であるのに。)

 ある年長者と話をしていて考えが違うな、と気がつく。ふと自分の手を見ると怒りで震えている、お腹の奥でどきんどきんと波打つものがある。相手の一言がわたしの何かに触れた。相手により、心的態度(無意識理の)が変化している?生身、無意識理の自分の許容範囲に気づく。

 電話で2回相談をした女性と出会うことにした。
「主人が存命中にいろいろと物見遊山をさせてもらいました。その分苦労もしないといけいない、ということでしようかね。娘も仕事が忙しいので、それで私が孫の(中2男子)相手をしているのです。」 「私は弱いので、孫も遠慮なくものを言ってきます。ある日はお祖父さん(亡き夫)の仏壇をいたずらしようとするので、悲しくなって泣きました。」70歳前後の女性である。
話をお聴きしただけであるが。私のほんの一言をも、メモを取られ、「心がすっきりしました。ありがとうございました。」とおっしゃってかえられた。私は、彼女のこれまでの生涯を想像した。

 頭の回転は速いのに、粗暴なところがある生徒がいる。担当から相談を受けたのでその生徒と話をしたり、指導したりした。別れて暮らしている父親と母親にも別々に来てもらい話を聞いた。充分時間を取ってもらえず、途中で用事があるからといって出て行かれたお母さん。「厳しく対してください」と注文をつけて帰られたお父さん。その子供と両親のふるまい、表情を思い出しながら、楽しくない人間関係を想像してしまった。もう一度会うべきかどうか迷っている。

2 thoughts on “出会いから”

  1. キヨシです。
    いろんな人がいて、いろんな経験をして。
    でも、どこまで行っても人と関わって
    いる自分がいます。
    どうされるか?
    きっと答えはありますよね。

  2. 今、この瞬間も地球上で
    約68億という人が生きている。
    その中で奇跡的に出会った人々・・・
    大切にしたいですね。

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