夢からコンプレックスを感じている超介です。
夢をみました。
周囲は見覚えのない顔の人ばかり(私より若い、後輩の大学生)のいる大学内を歩いています。私は大学を卒業できない不安に捉われていました。
大講義室で語学の授業があるのですが、ほとんど欠席していて最後のコマのほうで授業に出ているのです。思い出すと他の実験等の授業にも出ていないことに気がついて、途方に暮れています。
なぜか夫婦で大学の寮らしき建物に引っ越してきて、私はベランダでたくさんの本を積み上げています。でもそこは、居住スペースに付随しているのではなくて、別のところに部屋があり他の荷物をそこに置かねばなりません。部屋へ行ってみると、うなぎの寝床のような奥までながい部屋です。家具は見当たりません。薄い青のカーペットが敷いてあります。こんなところに、と茫然としていると、管理人のような女性が、新入居者らしい人と入ってきます。
どうやら私は部屋を間違えたようです。でも鍵を合わせると、きちんと合うのです。なぜ?と立ちすくんでいます。ここで目が覚めました。
不安(コンプレックス)なことがあってそれが大学を卒業できないことに投影されているのだろうと。これまでも数回同じように卒業できない夢を見たのです。後半のベランダでの書物の積み上げ、部屋の間違いは初めて見る夢でした。(これは単純に本が多くなり、家人に責められていることからの反映?わかりやすい!)
私には不安があって、それが何かを邪魔している?! それがこの夢の意味かな?
「ゲシュタルトの祈り」という詩を思い出しました。
ゲシュタルトの祈り
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
フレデリック・パールズ
「祈り」とパールズがいうように、「私はわたしのために生きる」こと、「あなたがあなたのために生きる」こと、それは生まれつきそうあることが自然とできるのではなくて、「祈って」までも、注力して手に入れることなのでしょう。確かに私たちは、よくよく振り返ってみれば誰かに何かを依存して生きてしまっていて、そのゆえに悩みやら、不安を抱え込んでしまうような、そういう気がします。
何かを気にして引っ張られている状態が不安を抱いている状態で、それが多くの時だけれども、私は私のために生きる、あなたはあなたのために生きる、それでよいと、ありのままに受け入れることができていれば私の感じているコンプレックス、不安のようなものはきっと・・・・・・。毎日のことをきちんと、区切りをつけて完了させていけば、不安からは自由になれる、そうありたい。
この詩のように祈ります。
キヨシです。
心配事や気になることがあったとき、
あまり夢を見ない私も見ることがあります。
身体というか頭や心とつながっているんですね。
そらです。
ゲシュタルトの祈り
私にとっても思いのある詩です。
一見クールに見えます。
でも、熱いものを持っています。
人生を主人公として生きる強さですよね。