言葉の奥にあるもの(その1)

  語り手が、自分の心を確かめながら話している時、聴き手はその人の言葉がそこから出てきていることがすぐわかります。

 当たり前のことですが、注意深い聴き手ほど相手の心がわかります。(と、僕は思うのです。)

(ちょっと意識を集中すると、お店の人の挨拶からでもわかります。)

 それから、聴き手が懐疑的な態度では真実は聞こえてこないのです。(もちろん 僕の場合は です)うまくやっていけていない人との場合は、おおかたそうだと思います。

で、そのことに気がついてから、意識しています。

 「私には、あなたのその言葉が受け取れません」

  そう思う時は、時間をおいて

 「それは私の耳が歪んでいるからかもしれません」

というように考え直すのです。

 そして、そのあとで、と自分の立場を見直しつつ、じっくりと相手の言葉を反芻してみます。身勝手受け取り方をしていることに気づくこともあります。

 それでも変わらなければ、そのままにしておきます。

 これぐらいの距離で、言葉と付き合います。(もっと敏感になれば変わるかもしれませんが、当分の間は、相手にもよりますが、これぐらいで。)

 耳ざわりな言葉、その中にも語り手の真実がある可能性が多いとおもいます。特に大切な人との関係程、真実の含有率は高いと思います。

(にがく、つらい体験を繰り返し、そのことを実感し始めています。)

 人を信じることは、そうやってその人の行為の奥のものを見つけ出すことだと思います。

One thought on “言葉の奥にあるもの(その1)”

  1. キヨシです。
    「自分が源泉」ですね。
    そして、事実と概念をごちゃごちゃにしない。
    「真」とは何か・・・。
    深いです。

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