神社の周りには鬱蒼とした森があった(終わり)

神社の周りの森も、竹やぶも川の流れる音も消え、蝶も甲虫もその姿を減少させ、子供がほとんどいなくなり高齢者が増え、里山が荒れてきた。そして故郷にあった物語性が少なくなったように思ってしまう。多様性が減少した、と感じてしまう。

いろいろな物語があったムラが、明るく衛生的で効率的にはなったが平板な地域になった、かのように感じる。人々が地域を活性化したり、村起こしをしたりする気持ちが伝わる。健康的に生活できる基盤ができた、さらに夢を持って生きることができる地域にしたい、そう考えて・・・

多様性を感じる環境、自然は豊かな気がする。「人はそれぞれ」ということが認められる社会というのは結構大変だと思う。いろいろな人たちがコミュニケーションをとって生き生きと生活できる地域にするためには工夫が必要である。「人はそれぞれ」というのは簡単、それをどうするかである。考え方、感じ方が異なる人たちがチームを作って仕事をするときにどうマネージメントするか、結構大変。

多様性を感じる環境、自然作りにも同じようにマネージメント力が必要だとおもう。

私は多様な自分(これも自然の一部、多様だ!)を次のようにマネージメントしていきたい。

過去の自分に、過去にあった出来事を引き受けさせ
(いまの自分は その教訓のみを受け取る。ありがとう!過去の自分よ)

未来の自分に、これから起こる出来事を引き受けさせ
(いまの自分は 未来の自分ができるってことを信じている、不安を持ったりはしない。 信じているよ、未来の自分。)

そうして、今の自分は、今ここ で感じることをじっくりと味わうのだ。

One thought on “神社の周りには鬱蒼とした森があった(終わり)”

  1. キヨシです。
    これからとこれまでのこのときを・・・。
    今を生きるために、何が必要かってことですね。

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