神社の周りには鬱蒼とした森があった(その2)

里山が荒れている、ように思える。人の手が入っていないようにおもえる。どんどん里の近くにまで木が生え、草はらが穏やかに広がり徐々に山になっていた地域がなくなり、伐採がされないままに伸びた林が民家の近くまで押し寄せているのである。里山にはクヌギやら、栗の木もあって、カブトムシやらクワガタムシ(僕たちはオニムシとよんでいた)が樹液の匂いに集まってくる。地区の子供たちは、どこにそんな樹木があるのかよく知っていて、夏休みには早朝から取りに行くのだ。そのうちの一本の木の近くで網をふってオオムラサキを捕まえたことが一度ある。紫というよりも濃い青色を翅の中にひそませていた。(後でそれがオオムラサキという日本の国蝶であることを図鑑で調べたのだ。)それからは一度も捕まえたこともみたこともない。幻の蝶となった。

神社の土塀の庇にはタテハ蝶の(一種であったと思うが)さなぎがぶら下がっていることがあった。羽化する蝶を見たことがあるし、境内の大木の下で角を生やした蝉の幼虫(冬草夏虫、という漢方薬の材料にも使われるらしきもの、蝉の幼虫に菌類が寄生したものである。)をとったこともある。また、土中の蝉の幼虫をそっとつかみだし、家に持ち帰り、植木の下におく。その夜真っ白に羽化した成体をみたり、朝方、翅に体液が沁み、色づいて飛んでいく油蝉やらニイ二イ蝉の観察を何回も繰り返した。自然の不思議さ は何回見ても私を飽きさせなかった。

里山の近くにはイノシシがよく出てきていたが、たまに猿も出てきていた。タヌキが民家の横を通る水路を出たり入ったりしながら愛嬌のある顔を出していたこともあった。ところが近年はいないらしい、どこに行ったのだろうか?それに代わってこの頃農家の作物を荒らすのは鹿である。夜陰に乗じて野菜、木々の若芽を食べているらしい。鹿用の背の高い防御の電気柵を張り巡らした畑が山のふもとにある。去年には、なんと 私の実家では両親が家屋に入り込んで棲んでいた帰化したと思われる アライグマ を捕まえたのである。何が起こっているのだろうか?田畑だけでなく、山の中も変化しているのであろうか?

整備された圃場は米つくりの仕事を効率化した。数反の田も1日もあれば十分田植えも済む、稲刈りも1日である。水路は整備され、川からモーターで組み上げられた水が勢いよく田植えシーズンにはよどみなくたっぷり流れている。人口の水路と区画整備された整然とした水田、そこに田植え機が入りエンジン音を響かせながら田植えは進む。除草剤、除虫剤を適宜散布して、水を調整していればほとんど計画通りの収穫が得られる。しかし稲作による収益は赤字か、せいぜいトントンではないのだろうか。投資にすごくお金がかかるのである。

1955年頃からの日本における高度経済成長の波は、農家にテレビ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機等々電化製品を次々と運び込み、同時に耕運機、コンバイン、軽トラック、田植え機等々エンジンつきのものを運んだ。子どもたちは、都会に行き、成長の波の中で夢を見つけようと思い、成績の良い高校生は偏差値の高い大学を志向した。自己を掘り下げなくとも夢が外側にあるように思った。教師も大学を目指すことを奨励したものが多かったように思う。親も跡を継いでほしい(代々守ってきた家屋、山林、田畑を守ってほしい)けれど、子が将来を帰郷し同居することを期待しつつムラをでて、町に行くことを認めた。多くの人々は疑わなかったし、深くは考えず、流れを信じていた。やがて、経済的に無理をしてでも子供たちに大学までいかせる家庭が増えていった。若者はどんどんムラから離れて進学就職し、過疎化、高齢化が進んだ。

40戸ほどのムラにも小学生が20人ほどはいたように思うが40年後の今は2人(それも都会から移住してきた家族の子供)だけらしい。若者の多くはムラを離れた。ムラは激変した。これから、どうなるのだろうか?

One thought on “神社の周りには鬱蒼とした森があった(その2)”

  1. キヨシです。
    当たり前のように見えていたものや
    あったものが、今はそれを探すことが
    難しくなってきています。
    人と人とのつながりの中にも、そのような
    変化があるのかもしれないですね。

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