大きな変化はゆっくり進む(その3)  神社の周りには鬱蒼とした森があった

神社の境内からは子供たちのソフトボールをする歓声が聞こえていた。鳥居を超えればホームランであり、そこを一部の運動能力の高い少年達はバットでうち超えた。境内北側には石垣がありその奥は神社を外界から遮るかのように森があった。さらに西側には幅12,3メートルほどの川が流れていて、それほど高低差はないが堰があり、水音が神社の境内まで聞こえてきていた。

境内の南東から東の位置に川は流れていて、その岸には竹林が広がっている。また西側には一段高いところがあり、そこには祠と小さな鳥居、樹齢が百年以上の樹、むくろがあって中にも何かが祭ってあるような大木やら、銀杏の木、大人の背丈の数倍もある巨岩等々があった。神社はたくさんの自然に取り囲まれていたのだ。

鳥居から神社に入れば、そこは日常とは異なる空間であったのである。それが40年後のいまではすっかり取り払われ、境内の樹木こそ残っているが、森はゲートボール用のグラウンドになり、竹林は切り倒され、川は圃場整備に伴って流れを変えられ、その水音は境内には聞こえてこない。開けた空間になり、何かがそこに住まわっているような物語は生まれなくなった。

神社の変化も大きいが、それは衛生的で明るくなったともいえる。それよりも大きな変化は、そしてこっちのほうが重大ではないかと感じるのは虫たちがその種類も、量も劇的に減っていることである。

5月の連休に丹波の里に帰った時、とくに気がついたのはそのことであった。まるでレイチェルカーソンの「沈黙の春」ではないか、そう感じてしまった。虫取り網とかごをもって菜種畑に行ってみればモンシロチョウやらモンキチョウやらが複数匹がまとわりながら飛んでいたり、花を見れば蜂やらあるいは小さないくつかの種類の甲虫たちが身を潜めていたように思う。時には小さなカミキリムシもいた。が今は視界に入るのはやっと2匹くらいの頼りないモンシロチョウだけであり、花に虫はいない。

虫がいないのは、嫌いな人にはいいかもしれないが、でも虫がいないと多くの果実は実らない。

One thought on “大きな変化はゆっくり進む(その3)  神社の周りには鬱蒼とした森があった”

  1. キヨシです。
    私の会社にはチャレンジ合宿という石川県の
    能登島に3泊4日のキャンププログラムがあります。
    そこで、昆虫の博士がよく話されていたこと。
    「私たちが虫が好きだ嫌いだというのではない。
     虫のいる世界に私たちが生活させてもらっているのだ。
     だから、この場所では虫のことを優先しましょう。」
    なるほどと思った。虫からすれば、突然人間がやってきて
    自分たちの世界を壊そうとしているわけなのだから・・・。

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