◆研究部会主催◆ワークショップin名古屋

教育コーチのなみぞうです。

4/29(木・祝)に研究部会主催のワークショップが
開催されました。

今回は名古屋での開催☆
そして、50名を超える方々が一同に会しての
ダイナミックなワークショップとなりました!

東海生まれ、東海育ちの私がいないことは
考えられません!!!
行ってきましたよ^^

みねG@峯下トレーナーのオープニング。

20100430-mineg.JPG

この正面には、ずらりとこんな感じ。。。

20100430-opening.JPG

そして、みんなと出会います。

20100430-deau.JPG

めっちゃテンション上がりました♪

レクチャーあり、ワークあり。
それぞれに学びや気づきの感動が表情に
現れて、場の一体感が増していきました。

20100430-lite.JPG 20100430-feedback.JPG

休憩後にはこんなことも。
みんなで座るんです。全員が座るんです。

1 20100430-suwaru1.JPG 2 20100430-suwaru2.JPG 3 20100430-suwaru3.JPG 

完成形は 20100430-suwaru4.JPG

何じゃこりゃ!! でも素敵な笑顔でしょう?

ラストのセッションは止まらない。。。

20100430-last session.JPG

フィナーレはお互いの承認の場。

20100430-syounin1.JPG 20100430-syounin2.JPG 20100430-syounin3.JPG

いやぁ、パワフルで素敵な皆さんです。

20100430-syugo.JPG

皆さん、積極的なご参加、ありがとうございました。
そして、また会いましょう♪

次は埼玉へGO☆

教育コーチの徒然なる読書日記18

教育コーチのGです。

第18回の徒然読書日記は、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 著者:岩崎夏海」です。

すでに、さまざまな場所でこの本に関する紹介が行われているので、もう読んだという方もいるかもしれません。

さて、著者の岩崎さんは、ドラッカーの「マネジメント」を実際に手にして読んだのは、ほんの数年前(2005年)とのことですが、一読して驚き、心を揺すぶられ、涙さえ流したそうです。

そして、ドラッカーが書いている「マネジャー(マネージャー)」と、日本におけるマネージャーのイメージがあまりに違っていることが気になったそうです。

【例えば、アメリカ大リーグで「マネジャー」といえば、それは「監督」のことを指す。しかし日本では、真っ先に思い浮かぶのは「高校野球の女子マネージャー」だ。しかもそこには、「スコアをつけたり後片づけをする」といった、下働き的なニュアンスさえ含まれている。つまり、英語圏のそれとは、責任や役割において、指し示すものに大きな違いがあるのだ。】

そして、

【と、その時だった。ふいに一つのアイデアが閃いた。それは、「もし高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーの『マネジメント』を読んだら(どうなるか?)」というものだった。】

と本のあとがきで記述されています。

まさに、この本は高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を元に、野球部をマネジメントしていくストーリー(小説仕立て)となっています。

ドラッカーのマネジメント?
「もしかして、難しいのか?」

それとも
「くだらない内容じゃないのか?」

など、書名からは何とも判断がつきかねる本なのですが、読んでみてビックリ!!

所々に、ドラッカーの『マネジメント』からの言葉が引用されており、これがとても絶妙。

思わず、自分自身の現状に照らしてみて、考えさせられるという場面が多々ありました。

実は、何度か目に涙を浮かべながら、一気に読み切ってしまいました。

「思わず考えさせられるというのは分からんでもないが、なぜに、マネジメントで涙?」

そう、それは実際に手にとって読んでもらえれば分かると思います。

この本は、小説仕立てであり、抜き書きしてもなかなかその内容が伝わらないと思いますので、内容詳細の紹介はほとんどなしです。

今回の徒然日記はここまで。

彼は自分をさらけ出すことができる

正直は最大の戦略ということを30代で知りえた彼は、自分をさらけ出すことをあまりいとわなくなった。そのことで得たものは落ち着きと自信である。

「自分のことをさらけだしすぎ、相手を考えて話さないと。」

と忠告する女性の部下もいた。それからは言い方には気をつけるようになった。でも、出さないのではなく、相手に応じて表現を変えるのである。

この世界は時間も空間も同じ次元としてあるのだ、ということと私たちがある特定の意識を持って生きている時に出くわす現象は関連があるのだろうか。強く問題意識を持って考えているとヒントになるような事象やら、解答に出会うことが多い。強く願えばかなう、とか、そんな現象である。

正直に生きること、さらけ出すことは彼にとって誠実に生きることにつながる、そう考えているのである。世渡りをうまくやるためには、時には嘘をついたり、脅したり、いろいろとやらないといけないのかもしれないが、それを彼はやらない。

誠実に生きるとは社会規範に従っていくこととは限らない。自分を信じて生きることの意味に近い。ゆっくりと歩いてきたのである。だから今でも自分の成長を信じられる。

自分をコントロールする修行

英語の試験を終えた生徒たちに
「無意識の自分をコントロールできるようになってください」
なんて、話をしました。

「無意識の自分」のお話です。

  試験1時間目の英語を終えた瞬間から
  「できた・?」 
  「さっきのところむずかった・」 
  「熟語、全然知らんかった・」 
  「あそこ、なんて書いた・?」
  とたんに話し始めます。

  自分もやっていたかもしれないこの行為についてです。

  話した相手の答えがあっているかどうかも分からないのに
  答え合わせして、一喜一憂している。
  合っていて喜んだり、違っていて落ち込んだり・・・。

  本番のセンター試験でこれをやると、次の科目に気持ちを引きずってしまいます。
  悪かったときには、そのままの「落ち込み」を次の科目に引っ張ることになります。
  よかったら良かったで、次が悪いと落ち込みは大きくなります。
  答えの正誤が確定しないのに、気持ちは大きく上下に変動します。
  
  たとえ、答え合わせをしなくても、「出来、不出来の感覚」は自分の中にすでにあります。
  いい成果を出すには、マイナスの自分をコントロールして、
  いつでもベストの自分を出しきれる自分になりたいものです。
  
  そのためには日頃から、何かがあるたびに自分を感じてみることです。
  たとえ心の状態が「悪いとき」でも、落ち込みを悪化させない。
  そして、ベター・ベストの行動を選択する。

  試験中のペン回しや貧乏ゆすりも無意識から出ています。
  もし、それが隣の人に迷惑をかけているようであれば、そんな自分を感じて、
  止められる自分になってほしいですね。

  一人の生徒が
  「これが出来たら強いね」と、ひと言

  受験を通して、自己コントロールの修行です。  

坂本龍馬

両国で開かれている特別展「龍馬伝」に行って来ました。

龍馬に出逢ったのは大学生の頃。
司馬遼太郎著「竜馬がゆく」、
それはもう、面白くておもしろくて、
うっかり講義の時間を忘れるくらいでした。
今にして思えばしあわせな読書体験です。

null

龍馬の魅力って何でしょう。
人それぞれかもしれませんが、
やはり、大らかな人としての「あり方」ではないでしょうか。
ここに多くの日本人は憧れると思うのです。
自分を超えて、日本のことを思い、日本から世界を眺め、
世界軸の中で自分を在らしめようとした龍馬。
それも幕末の動乱の時期、
一青年の夢に日本列島が龍のように翻った瞬間です。

古めかしい多くの展示品。
それは単なる物体です。
しかし、それらを観ていて込み上げてくるものがありました。

直筆の和歌、書簡の数々。
海援隊にまつわる品々。
龍馬が持っていた刀。その美しさ。
対して近江屋で龍馬を斬りつけた脇差。
その龍馬暗殺現場にあった血痕付きの屏風。

連れだって観に行った仕事仲間の方が
「魂を揺さぶられませんでしたか」とぽつり。
的確すぎる言葉だと思いました。

展は初日の平日、午前中でもあったのですが
思いのほか若い人、女性も多かったように思います。
そして、真剣な眼差しで展示物を観ている姿、
一人ひとりの中に確かに龍馬がいるのだなと判りました。

心なのか身体なのか、
自分の芯にテンションがかかってくるような時間でした。

特別展「龍馬伝」のURLは→こちら

おおきな変化がゆっくりと進む

脳の中,ニューロンが伸びて新たな神経のジャングルを創りだす過程は、植物の成長と同じようにゆっくりと進む。それは人格の変容やら、さまざまな能力の伸長からわかることだ。

木を割ってしまい、早く成長を見る人が多い。割れた木は元に戻らず、その人の芽を摘むことになる。もっとも大切なことは木を割らないことだ。それには見えないものを信じる力が多分必要だと思う。たとえば、早急に結論を出し、決めつけてしまうことも木を割ることの一つだ。

夫婦に子供が生まれる時、それが男の子か、女の子かどちらかにやきもきすることもある。(男がよいとか、女がよいとかということではない。)しかし世界中でみれば男も女も同じように生まれる。ある夫婦にとってみればどちらが生まれるかはわからない。でも統計的に見ればどちらも同じ数だけ生まれる、という真実がある。

そういう真実を求めて僕たちは学び続ける。今はわからないかもしれない。しかし、学び続ければ真実が見えてくることを信じている。木を割ってはいけない。

 人の成長は目に見えないけれど、ゆっくりかもしれないが変化していくことは間違いない。それを信じることだ。

ドライブ

教育コーチのなみぞうです。

日曜日にドライブに行ってきました!
と言っても、美容室に行くための
長距離運転ですが・・・

新名神の景色はとっても気持ちよかったです。

ここ10年くらいずっとお世話になっている美容室。
オーナーさんも店長さんも大好きです。
人としての魅力があります。
だから、スタッフの皆さんも自然と
魅力が感じられるんです。
その雰囲気が好きで、気付いたら通い続けています。

ETCでの休日割引のおかげ!

店長さんとの会話では、スタッフさんの育成に
ついての悩みが・・・
不足していたことに目が向いていました。

「できていることって何でしょう?」
「継続しているのは何があるからでしょう?」
「強みって何ですか?」

そんなことも聞いてみます。

観点が変わると、広がりができる・・・
そんな風に言ってくださいました。

大好きな皆さんを応援していますよ!

おしょうさんの娘育ち日記(4月その2)

教育コーチのおしょうさんです。

今月より、わたくしの勤務している塾が

地域のラジオ番組に5分間のコーナーをいただきました。

その名も【ココロのいずみ】

http://sbc21.co.jp/radio/rk/index.php?itemid=11883&catid=103

受験生からのお悩み相談に対して、われわれスタッフが

珍回答?で答えていくものです。

任されたスタッフは、自分の一芸や思い出話など

おもしろく、熱く語ります。

その番組を聞いた5歳の娘の反応。

おなかを抱えながら『パパおもしろい!!!』

と、笑いころげていました。

もう1回聞かせてとせがむ娘に、

その場で一芸(電車の車掌モノマネ)をする私でした。

娘からの承認は私にとって、一番ですね。

また来月も放送されるし、DJデビュー目指して、

精進しようっと。

New『親力』向上セミナーin京都 その2

教育コーチのなみぞうです。

4月23日(金)に
『親力』向上セミナー2日目を開催。

先週に引き続き、GUTSさんと一緒です。
そして、広島からなおさんが飛んできてくれました!

この1週間にいろんなことがありました。
愛情をいっぱい感じた方。
お子さんからのびっくりする一言。
また怒っちゃった。
などなど・・・・・・

20100423-start.JPG

前回来られなかった方々もしっかり参加。

お子さんをどんなふうに見ているの?
自分自身に問いかけてみます。

20100423-kansatsu2.JPG

あなたの愛情って???
愛情に出会ってみます。

20100423-aizyo.JPG

そして
お互いの承認メッセージを伝えあいました。

最後はこのとおり!

20100423-egao.JPG

素敵な笑顔、素敵なチャレンジをありがとう!

どんなことがあっても、「こんな私でよし!」

そうやって歩んで、
1ヶ月後の同窓会で会いましょう♪

悩みがあったとしても

生活時間を3つに分類する。
1.痛みや、苦しみそのものを体感している時間
2.(悩みや不安、不満があったとしても)普通に生活している時間
3.喜びを感じている時間
このように生活時間をわけて考えると、私たちはほとんど
   2の時間+3の時間
を生きているのではないのだろうか?

 「1の時」が来ることを恐れているのが「2の時」であるが、ここに大きな個人差があると思う。普通に生活できる時間であるのに、不安やら苦しみやら不満を心に抱き、生きている充実感がもてない。人生を幸せに生きることができるかどうかは、この「2の時」の過ごし方次第である、それはその人の考え方、行動の仕方如何である、と思う。

 「2の時」を(つつがなく)過ごせる時間と“昔の大人たち”は名付けていた。不幸な出来事はたくさんあるけれど、多くの“不幸なこと”は(つつがなく)過ごすことができないことからきているのではないであろうか?

 仕事がうまくいかない(でも仕事はあるし・・・)、給与が安い(でも無給ではない・・・)上司とうまくいいかない(でもいつも叱られ続けているわけではない・・・・)、夫婦仲が悪い(でもいつも喧嘩し続けているわけではない・・・)・・・・。このように考えてしまうと不幸な時間ばかり、でも
(・・・・・・)から入れば考え方が変わり(つつがない)ことへとつながるのでは。

 自分の生の大きな割合である(と思う)「2の時」を正しく理解できれば、安心して、次を追求していくことができる気がする。生き様である。人の器の大小はそんなところに表れる気がする。