教育コーチングで心の底を見つめている超介です。
最愛の夫を急病で2年前に亡くした女性からの電話でした。
ある小さな事件の被害者が私で加害者が彼女でした。話を聴いているうちに彼女の事情を知りました。
精神的な病、利き手の小指の骨折、生活苦、自殺未遂、親兄弟との付き合いが出来ず、友人もなく
天涯孤独の(と思っている)女性。苦しい心のうちを聴いてくれる人が誰もいない、親族からも
『お前が悪い、としか言ってくれない。攻められるばかり、話を聴いて欲しいだけなのに・・・』
これからも電話をしてもよいかと尋ねられ
『電話で話を聴くことは出来るよ。』
そう伝えると
『ごめんなさい、私が加害者であなたが被害者なのに、助けてもらって。悲しくて、つらくて外へ出る気にもなれない。ベッドから出る元気が無い。服を着替えることが出来ない。・・・・・・・・・・・・・。』
彼女の言葉は悲鳴そのものでした。普段の人との会話でもよく聞いてみれば、怒りや不満のなかに悲鳴が含まれていることがよくあります。
耳を済ませて、どこにこころの叫びがあるのかを探りあて、そこに集中します。
人の言葉の中の悲鳴、そこは、本人も意識できていないかもしれません。
その悲鳴を注意深く、きちんと聴くことができる人でありたいと思います。
『あなたはこう感じているのではないでしょうか』
自分が感じていることをフィードバックします。
私は、鈍感なので、余計に相手の心の痛みがわかる人 でありたいとねがいます。
心から傾聴するって
そういうことなんでしょうね。
超介さんは、自分を鈍感だとおっしゃっていますが、
思わぬ縁で出会った人が、そこまで話したくなるってことは、
この人は痛みの分かる人だと直感したんでしょうね。
キヨシです。
相手はしっかりと受け止めて聞いてくれるだけ
ただ、それだけを願っていることがありますね。
判断を置いて、ただ、ただ、聴く・・・。