教育コーチングの学びによって、出会いの意味を感じている超介です。
22日の日曜日、神戸で中学校の同窓会がありました。今から39年前の同窓生です。ほとんどの人とは中学卒業以来だったのです。早朝松山を高速バスで出発して昼前に三宮へ、会場は神戸ポートピアホテルでした。中学の同窓生が料理長をやっているお店で開かれました。同窓生81名のうち39名が集いました。そして、なんと42年ぶりに担任であった先生(中1の2学期までの担任、2学期末に結婚退職されました。)も出席いただいたのです。
先生は当時、20代の音楽の先生でした。そしてなんと、その先生からは、42年前に私達生徒が書いた作文を返却いただいたのです。道徳の時間に、魯迅の短編小説(小さなできごと)の感想文を書きました。自分の書いた作文を読み返すと、当時の私(13歳)がどのようであったか、その一端が浮かびあがってきます。
そこに表れているのは、おさない私のあまりにも単純な人物観でした。「魯迅が乗っていた人力車の車夫が老婆をはねた。魯迅の制止を聞かず、車夫はその老婆を交番に連れて行き、自分が怪我をさせたと申し出た。その車夫の背中が魯迅にはだんだん大きく見えてきて、そして己の小ささを感じた。」そんな内容です。なぜその背中が大きく見えたかについての理由を私は書いています。あまりにもあたりまえの内容で、ふう・・、何も考えていないじゃないか・・とそう感じました。でも、一生懸命考えて書いた作文だったかもしれません。
その若い担任は実は社会の先生で、音楽を教えるのは苦労されたらしいこと、そんなことをお話されました。そうおっしゃると、なんとなく音楽の授業の緊張した雰囲気が思い出されてきて、そういえばあまり笑いがなかったような気もします。それでも違和感はなく、それ以上に先生に魅力を感じていたのです。たった、9ヶ月の担任期間でした。3者面談で部活入部を決めかねていて、バレーボール部をすすめていただいたときの優しいまなざしを思い出します。作文も先生に気に入ってもらえるように書いた気もするのです。そのことを先生にお話しすると、うれしそうに感想を述べられました。「そのように慕ってもらっていたことを知って、それだけでもきた価値がありました。」、と。
その当時の自分、そして一緒に生きていた人たちと再び出合うこと、それは本当に素敵なことです。想い出を宝物に感じます。かけがえのない、そして2度とやってこない時間。そのとき一緒に過ごした人たちと出会い、振り返ると、胸が熱くなります。ああ、僕たちはあんなふうに生きてきた、と、その命を認め合うとき、エネルギーがあふれ出てきます。僕はその会の間、何人にも握手を求め、相手を見て言いました、「逢えてよかった、本当にありがとう」と。幸せな時間、存在、命の承認の時間。
キヨシです。
42年前に書かれた作文を大切に持っておられた先生の
お気持ちや、その作文を読んでらっしゃるみなさんの
表情が浮かんでくるようです。
一緒に生きていた人たちと再び出会うこと。
本当に素敵なことですね。かけがえのない宝物です。