☆お母さんのための自分磨きセミナー☆

11/25(水)、11/28(土)に、たびさんPresents
「お母さんのための自分磨きセミナー」
が開催されました。

それぞれの日程で計17名のお母さんが参加して
くださいました。

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幼いころの自分に出会ったり、
両親と出会ったり。。。
お互いに協力しあって、素敵な自分と
出会った瞬間に、自然と流れる涙。

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まさに日頃頑張っている自分へのご褒美そのもの。
夕方にはみなさん晴れ晴れとした表情で、
キラキラの笑顔になっていました。
そして、再会を約束して出発していかれました。

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ご家庭に戻られて、どんなお話があったんでしょう?
どんなお母さんがいらっしゃったんでしょう?
きっとご家族の温度が上がったはず。

人って本当に素敵です。

そして、
夜のディナーもとっても充実した時間でした。
温かい心配りが感じられる、何度も楽しみたい
素敵なお料理を堪能しました。

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教育コーチの徒然なる読書日記10

 教育コーチのGです。

 第10回徒然読書日記は『本気で生きよう!なにかが変わる(著者:丸山浩路)』です。

 著者の丸山浩路さんは、NHK教育テレビの「手話ニュース845」のキャスターとして活躍された、もみあげが大変印象的な方です。

 もし、この本を手に取ったことがないという方がみえたら、ぜひとも一度読んでみてください。この本には、丸山さん自身が見聞きしたエピソードと自身の体験から生み出された感動の物語が、これでもかと紹介されています。

 まず、いきなり冒頭で紹介されている「五井先生と太郎」のエピソード。涙なしには読むことができません(ネットで検索してみてください)。

 また、「親と子は同い年」という章には、【そもそも親は不遜ですよ。子どもより年上だと思っておられるでしょう。長く生きているという意味では、確かに大人は子どもの先輩です。でも、親になったのは子どもが生まれたときでしょう。そして、子どもの年齢と同じ年月をかけて親としての経験と知識を積み重ねてきたのです。・・・】とあります。

 読んだ当時、「なるほど、そうやな、親と子は同い年か」と心から納得したのを覚えています。

 さらに、「空気が動くとコミュニケーションが豊かになる」として「しんだ、まだだ、ええいワシは真田じゃ」というエピソードが紹介されています。この章のように、おもわず「ぷっ」と吹き出してしまう笑いのツボもたくさん仕組まれています。

 そして、最後の章では「心が変わると人生が変わる」として、少年院で講演をしたエピソードが紹介されています。このエピソードの中で、ヤンキースの松井秀喜さんも恩師から教わったといわれている、次の言葉が紹介されています。

【心が変わると態度が変わる
 態度が変わると行動が変わる
 行動が変わると習慣が変わる
 習慣が変わると人格が変わる
 人格が変わると出会いが変わる
 出会いが変わると運命が変わる
 運命が変わると人生が変わる】

 また、坂村真民先生(真民先生の詩集は、いずれ徒然日記でご紹介します)の詩も、随所に紹介されています。
【本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる
 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ
 本気な恋 本気な仕事
 ああ 人間一度 こいつを つかまんことには
 坂村真民「本気」】

 この本を通して丸山さんが一貫して訴えかけているのは、暑苦しいほどの「本気の人生」です。

 出版されて10年が経つ本ですが、本当に感動と学びの多い一冊です。

面談

「どうぞおかけください」といって、数秒その場を離れている間に、その母子の間で勢い良く?親子喧嘩風の会話が始まる。
そして、私が中に入って面談開始。
 
私が子どもに質問をすると、子どもが答える。
すると、お母さんは黙っていられなくて
母:「あんたはいっつもそう。口ではそう言うけど、言うばっかりでぜんぜん行動しないじゃないの!」

子ども:「それは・・・・だから。 今はちゃんとやっている! やっているところを見てる?!」

母:「じゃぁ、あの携帯は何? 昨日もずっと携帯ばかりやってたじゃない!」

子ども:「ついついやっちゃうんだよ(^^ゞ。気付いたら時間が長くなってるんだよ」

母:「あんたはだいたい遊びがまず先でしょ! その余った時間で勉強をしようなんて考えで、できるわけないでしょう!」

子ども:「お父さんやお母さんが言う、遊びは勉強の合間にやるものだって言う考えと僕は違うんだよ。 僕は遊ぶときには遊ぶ、勉強するときには勉強する・・・」

母:「・・・で、あんた勉強してるの?!遊びばかりじゃないの!」

子ども:「今は毎晩やってる。 妹は知ってるよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな調子がおよそ40・50分続く。
途中、何度か話に入るが、どうしても元に戻ってしまう。

お母さんはこれまでの様子から、子どもに対する信頼感がまるでない様子。
子どもの目からは涙があふれて止まらない。

母の会話には、『変えられない過去』の言葉と『目の前の相手を変えたい』気持ちの言葉が、子どもに対してなだれのように押し寄せてくる。
親の愛情、「子どもに自立してよくなってもらいたい」という気持ちが子どもを自分が思ういい方向へと操作しようとしている。 
でも、子どもは変えられたくない。
自分の考えでやりたい。
やっていることを信じてもらえないもどかしさと悲しさ。
そして、腹立たしさへと向かう。
双方にいくら言っても分かってもらえない互いに対する諦めが見え隠れする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『他人と過去は変えられない』 では、変えられるものは? ・・・  子どもが答えを出した。

『怒りと叱り』 ・・・  お母さんにも感じてもらった。

『意識と無意識』 ・・・  お互いがもっと自分をコントロールできることに気づいた。

『愛情からくるコントロール』 ・・・  一緒に考えてもらった。

『選択の人生』 ・・・  自己責任のもとに子どもは自分で選択することを決めた
              お母さんもそれを認めた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

子どもは自分の進みたい道へ、自分の責任で、自分の考えで、行動することを決意し選択する。
母は、『期待』ではなく、子どもの自立を信じて支援することを決める。

パラダイムシフトが起こった面談。

二人の顔が最初とはまるで違っていて、やわらかい笑顔に変わっている。
とても優しい会話をしながら仲良く帰っていく二人の背中に幸せを感じる。

今、とっても嬉しい。 

教育コーチングに感謝です。

 

再会その2

再会は存在の承認の場になると教育コーチングを通じて感じている超介です。

今回の39年ぶりの再会(中学の同窓会)がなぜ私に多くのエネルギーを与えるのかを想っています。思わず、自然に握手を求めたり、ハグしたりします。半世紀以上越えて(54年間)生きてきて、素直に自分をだせるだけの知恵がついたのでしょうか、異性ともこだわらずにそうしたのです。

丹波から四国松山に来た当初は、知人もなく一人ぼっちでした。それからの年月が故郷とその地の人々への想いを募らせます。生活は仕事を中心、人間関係も仕事からの関係、息苦しくなっているのかもしれません。同窓会の時間は、閉じ込められた球形の室内に、穿たれた窓からの温かく、かつ新鮮な風でした。

同時期に生きた人たちとの再会は 存在の承認の場、そのように思えるのです。たのしいことばかりではありません。逝去した人のことについて話したり、子どもを事故でなくした、家人との関係で悩んでいる、仕事で苦労している、親の介護等、それぞれの人生の悩み、苦しみを話し合ったりもします。でもそれは愚痴る時間ではなく、それらを認め合うことができる時間でした。「そうか、あなたはそんなにも苦しんでいるのか、悲しいのか。」 僕たちはそのような心の交換ができたのです。(きっと)

 ゆるしの時間であったのだと思います。様々な場と時に選択をし続けて今の私がある。私はいままで
に幾度ともなく、物足りない自分の性格を形成したのは過去の歴史である、そして頭と心の中を探り、私を操るたよりないものを掴もうと思っていました。でもこれからは、それらもゆるそうと思うのです。
もっと、ありのままに、素直にこれまで過ごしてきたときを振り返り、大切にしたいと思っているのです。

再会(42年ぶり)

教育コーチングの学びによって、出会いの意味を感じている超介です。

22日の日曜日、神戸で中学校の同窓会がありました。今から39年前の同窓生です。ほとんどの人とは中学卒業以来だったのです。早朝松山を高速バスで出発して昼前に三宮へ、会場は神戸ポートピアホテルでした。中学の同窓生が料理長をやっているお店で開かれました。同窓生81名のうち39名が集いました。そして、なんと42年ぶりに担任であった先生(中1の2学期までの担任、2学期末に結婚退職されました。)も出席いただいたのです。

先生は当時、20代の音楽の先生でした。そしてなんと、その先生からは、42年前に私達生徒が書いた作文を返却いただいたのです。道徳の時間に、魯迅の短編小説(小さなできごと)の感想文を書きました。自分の書いた作文を読み返すと、当時の私(13歳)がどのようであったか、その一端が浮かびあがってきます。

そこに表れているのは、おさない私のあまりにも単純な人物観でした。「魯迅が乗っていた人力車の車夫が老婆をはねた。魯迅の制止を聞かず、車夫はその老婆を交番に連れて行き、自分が怪我をさせたと申し出た。その車夫の背中が魯迅にはだんだん大きく見えてきて、そして己の小ささを感じた。」そんな内容です。なぜその背中が大きく見えたかについての理由を私は書いています。あまりにもあたりまえの内容で、ふう・・、何も考えていないじゃないか・・とそう感じました。でも、一生懸命考えて書いた作文だったかもしれません。

その若い担任は実は社会の先生で、音楽を教えるのは苦労されたらしいこと、そんなことをお話されました。そうおっしゃると、なんとなく音楽の授業の緊張した雰囲気が思い出されてきて、そういえばあまり笑いがなかったような気もします。それでも違和感はなく、それ以上に先生に魅力を感じていたのです。たった、9ヶ月の担任期間でした。3者面談で部活入部を決めかねていて、バレーボール部をすすめていただいたときの優しいまなざしを思い出します。作文も先生に気に入ってもらえるように書いた気もするのです。そのことを先生にお話しすると、うれしそうに感想を述べられました。「そのように慕ってもらっていたことを知って、それだけでもきた価値がありました。」、と。

その当時の自分、そして一緒に生きていた人たちと再び出合うこと、それは本当に素敵なことです。想い出を宝物に感じます。かけがえのない、そして2度とやってこない時間。そのとき一緒に過ごした人たちと出会い、振り返ると、胸が熱くなります。ああ、僕たちはあんなふうに生きてきた、と、その命を認め合うとき、エネルギーがあふれ出てきます。僕はその会の間、何人にも握手を求め、相手を見て言いました、「逢えてよかった、本当にありがとう」と。幸せな時間、存在、命の承認の時間。

京都で学んできました。

○そら@内藤です。

○22日・23日に、京都で、どっぷりと学んできました。
 はじめ、ドキドキでした。
 素敵なKuroさんや、是空さんに出会えました。
 すっきりとしてくることが色々ありました。
 
 贅沢なトレーナーのみなさんに支えていただきました。
 
 本当にありがとうございました。

○キラキラの高瀬川です。
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○みんなで、食べたお弁当です。
 さすが、3連休の京都です。
 どこもすごい人人人・・でした。
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一緒に料理

ここのところ妻の帰りが遅く、「ママの力」をひしと感じているいっすぅぃ・です。

最近の妻は仕事が忙しく、帰宅は深夜。昨日は休日出勤。世間一般的に言う
と、私がママのような役割をしていました。
早くに帰宅して、子ども達をお風呂に入れて、夜ご飯と就寝の手伝い。合間に
宿題のチェック。でも、ママに追いつかない瞬間を何度も感じます。

今日は久方振りに親子4人で、長い時間を過ごせました。
出かけている際も、帰宅してからも、子ども達はそんな時間を親達が大切にして
いるのを知っているかのように、意図を汲み取ったり、はぐらかしたり。そして、
そして、やっぱり叱る場面があったり。

で、夕食の準備。兄の琉太朗は「ハンバーグを一緒に作る」と宣言。宿題が残っ
ているのを最初にやってから、ご飯が終わってから、今から、それはやだ、とすっ
たもんだありました。それは、もう。

「ママの想い」が通じたんだ、と私が感じた瞬間がここでした。
台所にママと子どもが並んで料理をしているとき。
今日は、寝るときにも、色々と話をして、通じ合えているなと感じる時を過ごせまし
たが、それ以上のものでした。結婚してからというもの、家族構成のこともあり、料
理をしなくなってしまった私ですが、その時間をちょっと共有したいそんな気分にな
りました。

反面、確信していることもあります。きっと、ママだから創れた時間で、真似するこ
とはできないこと。
「ママの力」はすごい。
「ママ・コーチ」、応援しています。

聴く耳

子どもの発達に驚き、教育コーチングの有効性を感じる超介です。

ある独立行政法人が主催する認知療法のセミナーを受講してきました。出来事・事実に対する認知モデル、自動思考等の説明やら、実際に自分がある状況ではどのような反応をしているかチェックし、心の内側にどのような自動思考があるかを考え、発表しあったりしました。

うすうす感じていたことではありますが、どうも私は物事が平和裏(穏やかに)に進むようにみてしまい(中核概念、スキーマ)、危機を感じ取るセンサーが弱かったり、うまくいかないことの原因を自分に引き寄せて考えすぎる、自責的、傾向(自動思考)があるように思います。

そしてこの平和志向的な中核概念(スキーマ)が何を意味するかはぼんやり感じているのですが、それとどのように付き合う(向かい合う)かは見えていません。それがなくなれば自分でなくなるような気もしてきて・・・・・。気が遠くなるように思えてくるのです。これとはじっくりと付き合っているうちに必要に応じて編成、変質がおこるんだろう(きっと)と思うようにしています。

担当している子どものうち、なかなかこちらの気持ちが通じず、いつもコトバが一方通行であった子が
ふと、今日「聞く耳」から「聞こえる耳」になっていて「聴く耳」に変わりつつあるのに気がつきました。社会性の発達が見えたような気がするのです。注意をするとちゃんと聞いていることが分かったのです。すねることが少なくなったのです。彼の頭の中で、何かの回路がおぼろげながら出来つつあるかのように思えるのです。もちろん本人は認知していない。

お預かりしてから約8ヶ月たちます。じっくりお付き合いさせていただいていますが、人の能力の素晴らしさを味わっています。

私の奥にある「中核概念」もこんな風にして周囲の人たちとの付き合いのなか、本人の知らぬところで生まれてきたのだろうなぁ・・・、とおもったのです。

玄関での時間

土・日で、東京へ行ってきたいっすぅぃ・です。
旧友に会うと、自分の変わってなさと変わった部分、自身の軸、そんなものが
ありありと分かります。
そんな「力」をもらったいっすぅぃ・です。

旅行に行くときは、準備する時間が長くかかる子どもたちの準備を手伝い、早め
に済ませてしまい、子どもたちは玄関に集合。そして、母の行くのを待つ、そんな
風にして出発を待ちます。
この風景は、どこの家庭でも同じようなものでしょうか。

父はこんなとき、どうしていようか。
自分のことはパッパッと済んでしまう。先に廻って待ってよう、そんな心情。

で、いつものように待っていたのですが、ちょっと気付きがありました。

赤ん坊のとき、それは玄関で待っているなんて時間はあまりない。
子どものとき、先のよう。
青年になると、きっと、今の父と同じように、パッパッとすることになるのだろう。

そう考えて、この時間を捉えると、この玄関の時間が、愛おしく、大事にしたいと
感じたのでした。
子どもが学校や保育園に行く前の喧騒が、煩わしくなくなりました。