(最初で最後の)告白、そして節目

教育コーチングで自己開発していく超介です。

「素敵」という言葉を使うことはめったにありませんでした。ところがこの数週間のうちに「ああ、これが素敵ということか」、と言葉の意味を感じるようになりました。

「本音」と「建前」が分離してしまい、いつも我慢して、気持ちを押さえつけて生きてきたようにおもいます。

ある日何の前触れもなく、涙があふれてくる時があるのです。

日常の自分をゆっくり振り返ることなどしていませんでしたが、教育コーチングを始めてから、振り返りをする機会に恵まれました。色々なセンスを学ぶにつれ、私という人間がなぜ今、ここに、こうして、あるのか、その意味をずしんと感じる時があるのです。

先日京都に行き、駅前の雑踏のなかで、黒い石のベンチに座り、帰りの夜行バスを待つ3時間ほどの間にテキストの文章の1箇所(「許す」)を何度も繰り返して読みました。すると、急にこみ上げてくるものがありました。それは何回も波打ってきます。「建前」と「本音」の境目がとれて、情動が動き出す。何の前触れもなくあふれてくることがあった涙の意味にはっきりと気がついたのです。

その翌日も同じ文章を繰り返して読みました。そうして前日の京都の夜のことを振り返りました。そのときも、そのままを受け止めて「許す」をおこないました。そこで私は深く感動しました。昨日よりもくっきりと自分のことが理解できたからです。そして、いままでより強く主体性が発揮できそうな予感がしました。

起床時の憂鬱をコントロールできそうな気もしたのです。新ためてECTPのテキストを読み直しています。以前は読み飛ばしていたのに、ああ、ここにこんな意味があったのか! と気がつきます。「信頼」の項目を読めば、現場で対応していた子ども達との関係がなぜうまく進んでいるのか、より深く理解できるようになりました。

うまくいっていないと感じる関係の理由も理解できます。解決できるかどうかは別にして。

同様なことはECTPのテキストだけでなく、他の本でもそんなことが起こりはじめました。言葉の意味が立ち上がってくることが増えてきています。そのことを感じながら読書を楽しみます。

いつの間にか不機嫌になったとき、時間をとって自己観察をします。すると刺激にそのまま反応している私に気がつきます。コントロールされている私に気がつけば、(時間はかかりますが)対処の仕方が見えてきます。こうしようと、そういう気持ちがわいてくるのです。

「日常の中に学びを落とし込む」これができれば、私はさらに自由になり強くなると思うのです。
これが「素敵」の意味!!

5 thoughts on “(最初で最後の)告白、そして節目”

  1. キヨシです。
    まず、この文章が素敵です。
    そのように感じるあなたが素敵です。
    自分を認め、許すことができることあなたが素敵です。
    同じテキストでも、やっていくうちに理解が深まったり
    また疑問が生まれたり、自分の中で深化があるのだと思います。

  2. ○言葉を表面的に理解していることと
     心から体から分かっていることとの
     差なんでしょうか。
     そういうことが自分にもあるなあと思いながら、
     超介さんの深さはすごく深いなあと感じています。

  3. 行動している、行動を通して検証している、自己を見つめている
    内へより深くふかく入ることを達成している
    そのことを見せることができている超介さんがいる
    あちらこちらに素敵な超介さんがいますね。

  4. 生きることへの誠実さを感じ、感動しました。
    求道心と謙虚さに、徳を感じました。

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