教育コーチのGです。
第2回徒然読書日記は「クリティカルシンキング《入門篇》(著者:E.B.ゼックミスタ、J.E.ジョンソン)」です。
(この本は、超介さんのリクエストに絡む内容だと思います。)
クリティカルシンキング(以降、「クリシン」と言います。)関係の本は多数出ていますが、この本により、クリシンという言葉が一般に知れ渡るようになったようです。
「クリティカル」というと批判的という訳語が与えられていますが、クリシンは批判的というよりも、人が陥りやすい思考のワナや思い込みなどに光を当て、できる限り事実に近づこうとするアプローチであると考えてください。
さて、《出来事の原因や、人々の行動の理由を推測すること》これを原因帰属と呼んでいますが、人は原因帰属をする際に、《その人を取り巻く周囲の状況からの影響を軽視し、その人が個人的にもつ性質(性格や能力など)の影響を重視しがち》であり、これを「基本的帰属錯誤」と呼んでいます。
人間関係において生じる早とちりや誤解の多くはこれを原因としているとのことです。ただし、原因や理由が個人にないと言っているわけではなく、人は原因を個人に帰属しがちであることを著者は指摘しています。
この「基本的帰属錯誤」をコーチングにどう活かしていけばいいのか(どんな本を読んでも、どうコーチングに活用しようかと考えることにしています)。
例えば、クライアントが行動を起こさないからといって、そのクライアントの性格や能力に原因を帰属するのではなく(基本的帰属錯誤に陥らないように)、なにか「邪魔するもの」があるのではないかと考えてみる。そして、クライアントの事実に焦点を当てる。
これらは、すでに教育コーチングでも、ECTP等の講座で繰り返し伝えていることですが、再度、自分自身のコーチとしてのあり方を見つめ直す機会にできるのではないでしょうか。
次に、原因帰属をする際に、人は因果関係をその根拠とすることが多いのですが、ここにも思考のワナが潜んでいます。
《因果関係を立証する基準は、共変関係、時間的順序関係、もっともらしい他の原因の排除の3つ》が必要になるのですが「共変関係(相関関係)」があるだけで、人はそこに因果関係を見出してしまいがちです。
この例として、《小学校高学年の児童においては、国語の学力テストの得点と、生徒の髪の毛の長さの間》には、弱い正の相関(一方が高くなれもう一方も高くなる)があるが、国語の点数と髪の毛の長さは因果関係にはなく、隠れた他の原因(第三変数とも言う)が存在していることをあげています。
《全体として考えれば、髪の毛が長いのは女児》であり《この年齢では女児の方が言語能力に優れていると考えられている。》ことから、第三変数として「性別」が存在していることが分かります。
他にも共変関係はあるが因果関係がない例として、
《ある都市での月別のアイスクリームの販売総量と犯罪発生率》
《都道府県ごとの牛の総頭数と、その県で博士号をもつ人の数》
《人の体重とその人のボキャブラリーの豊富さ》
などがあげられています。
さて、この因果関係における《相関の錯誤》はどのようにコーチングに応用することができるでしょうか。これは、徒然日記を読んでくださっている、皆さんご自身で考えてみてください。
この本では、《すっぱいブドウの合理化》や《自己ハンディーキャッピング》、《利用可能性ヒューリスティック》など、まだまだ沢山の興味深い、さまざまな思考のワナが紹介されているのですが、今回の徒然日記はここまでで終了です。
また機会があれば、続編も徒然に書いてみたいと思います。
超介です。
早速、紹介していただきありがとうございます。
ちょっと難しそうですが、入手して勉強します。
基本的帰属錯誤っていうのはたとえば、
「坊主にくけりゃ袈裟までにくい」
ていう錯誤、かな。
相関の錯誤のコーチングへの応用は一晩考えましたが
思いつかず、さらに寝かせて考えます。
判断脇に置く:クライアントからの情報によってコーチの脳に回路が派生する。
このときにクライアントの思考回路と平行してコーチの回路がで
きるときはOKですが、そうでなく異なる回路ができるときは
クライアントと一緒に居れない。 異なる回路ができたときは
それをブチ消す。これが判断を脇に置く。
これって、広義の共変関係はあるけど、因果関係は無いっていうことが含まれ
ているような・・・・・。
うう、妄想しました。
キヨシです。
「思考のワナ」ですね。
思いこみ、きっとこうだろう、人が言ったことを
あたかも真実のように思ってしまう。
陥りがちなことですね。
でも、人はそこに因果関係を見出してしまいがちで、
そのことにより、自己の保身や安心を手に入れている
こともあるように思います。
事実をみるということの大切さ。
それを見て、感じて、行動できること。
みねさん、ありがとうございます。