母と子の出会いに感動する

教育コーチングの普及活動ingの超介です。

母親の涙の前で、やんちゃな男の子がうんうんと素直に頷くのです。そのとき私は一緒にいてその子にお母さんのこころを言葉で表します。そのようなことを何回か繰り返せば、子どもの心の奥底に何かが現れはじめ、それを私は見極めてそこに、語りかけていきます。想い出を作るみたいにするのです。

母親の力は偉大で、いつもそれに圧倒されます。身長が親より大きくなっても、子どもは親についていきます。思い通りにならないわが子に不機嫌な親がどんどん先に歩いていき、でも子どもは不安そうに、少し困った表情を浮かべながらついていきます。

今日はコーチとの面談の日、コーチは母親の話(愚痴が多いのですが)をじっくりと傾聴します。コーチは母親からも子どもからも、心にあるモノをどんどんくみ出し、それがお互いに透いてみえるまでくみ出します。充分に話し終えた母親はすっきりとした表情で子どもを置いてかえります。教室では子どもがじっと、おとなしくして勉強します。コーチはその子には何も話しません。普段どおりに授業を終え、顔をみてにっこり笑って「ご苦労様、よくがんばったね。」とねぎらいます。

そのようにして僕たちは親と子どもに付き合うのです。決して親と子に説教をするのでなく、奥底の気持ちをくみ出し、くみ出しして、本当の姿を浮かび上がらせようとするのです。3つの信念(人は育とうとする生き物だ/人は自分の中に答えを持っている/人はぞれぞれ)どおりに。

そのような経過をたどっていくとき僕たちコーチも、親子から力をもらっていることに気がつくのです。ありがたいことです。

★★★★★★★★★
前回の問題の答えは 意 です。皆さん大正解だったと思います。ではこれはどう?
(漢字+α)クイズ 1.「木の上に立ってじっと見守っている人がいます。」これは誰と誰?
          2.「木のむこうにお日様がある。」ここはどこ?
          3.「木の下にお日様がある。」これはどんなとき?
 (注)1,2は小学生で習う字です。たぶん。でも、3.は珍しい使い方でちょっと難しいかも。

教育コーチの徒然なる読書日記2

教育コーチのGです。

 第2回徒然読書日記は「クリティカルシンキング《入門篇》(著者:E.B.ゼックミスタ、J.E.ジョンソン)」です。
(この本は、超介さんのリクエストに絡む内容だと思います。)
 クリティカルシンキング(以降、「クリシン」と言います。)関係の本は多数出ていますが、この本により、クリシンという言葉が一般に知れ渡るようになったようです。
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 「クリティカル」というと批判的という訳語が与えられていますが、クリシンは批判的というよりも、人が陥りやすい思考のワナや思い込みなどに光を当て、できる限り事実に近づこうとするアプローチであると考えてください。

 さて、《出来事の原因や、人々の行動の理由を推測すること》これを原因帰属と呼んでいますが、人は原因帰属をする際に、《その人を取り巻く周囲の状況からの影響を軽視し、その人が個人的にもつ性質(性格や能力など)の影響を重視しがち》であり、これを「基本的帰属錯誤」と呼んでいます。
 人間関係において生じる早とちりや誤解の多くはこれを原因としているとのことです。ただし、原因や理由が個人にないと言っているわけではなく、人は原因を個人に帰属しがちであることを著者は指摘しています。

 この「基本的帰属錯誤」をコーチングにどう活かしていけばいいのか(どんな本を読んでも、どうコーチングに活用しようかと考えることにしています)。
 例えば、クライアントが行動を起こさないからといって、そのクライアントの性格や能力に原因を帰属するのではなく(基本的帰属錯誤に陥らないように)、なにか「邪魔するもの」があるのではないかと考えてみる。そして、クライアントの事実に焦点を当てる。
 これらは、すでに教育コーチングでも、ECTP等の講座で繰り返し伝えていることですが、再度、自分自身のコーチとしてのあり方を見つめ直す機会にできるのではないでしょうか。

 次に、原因帰属をする際に、人は因果関係をその根拠とすることが多いのですが、ここにも思考のワナが潜んでいます。
 《因果関係を立証する基準は、共変関係、時間的順序関係、もっともらしい他の原因の排除の3つ》が必要になるのですが「共変関係(相関関係)」があるだけで、人はそこに因果関係を見出してしまいがちです。

 この例として、《小学校高学年の児童においては、国語の学力テストの得点と、生徒の髪の毛の長さの間》には、弱い正の相関(一方が高くなれもう一方も高くなる)があるが、国語の点数と髪の毛の長さは因果関係にはなく、隠れた他の原因(第三変数とも言う)が存在していることをあげています。

 《全体として考えれば、髪の毛が長いのは女児》であり《この年齢では女児の方が言語能力に優れていると考えられている。》ことから、第三変数として「性別」が存在していることが分かります。

 他にも共変関係はあるが因果関係がない例として、
《ある都市での月別のアイスクリームの販売総量と犯罪発生率》
《都道府県ごとの牛の総頭数と、その県で博士号をもつ人の数》
《人の体重とその人のボキャブラリーの豊富さ》
などがあげられています。

 さて、この因果関係における《相関の錯誤》はどのようにコーチングに応用することができるでしょうか。これは、徒然日記を読んでくださっている、皆さんご自身で考えてみてください。

 この本では、《すっぱいブドウの合理化》《自己ハンディーキャッピング》《利用可能性ヒューリスティック》など、まだまだ沢山の興味深い、さまざまな思考のワナが紹介されているのですが、今回の徒然日記はここまでで終了です。
 また機会があれば、続編も徒然に書いてみたいと思います。

なかなか・・・

夏が始まりません!!!

もうすぐ、8月というのに毎日、毎日⇒雨・雨・雨・雲・雲・雨・嵐・雨・・・・・
いつになったら梅雨は明けるんでしょうね。
梅雨明けで一番遅い記録が8月1日らしいですが、今年は更新間違いなし!

更新と言うと、
真夜中に世界水泳がやってますよね。
※おかげで寝不足ですが。。

そこでも毎夜、毎夜⇒世界新・日本新・大会新・新野新・・・
                              ↑
                            関西ローカルでした。。。すみません。
なんか、水着の素材でそんなに速く泳げるなんて、
その内、着ているだけで進む素材が出来るんじゃ?
って思ってたら、
案の定、水着の規定が変わるそうです。

個人的には、「何でや!」と言ってしまいそうです。
速く泳げる素材を各メーカーが研究開発してるのに、
それが止まってしまいますよね。

と、無駄話しはここまで、

最近、現場(塾)に出る機会が増えて子どもたちと触れ合う時間が多くなりました。

先日、朝からちょっと問題ある子どもと公園でサッカーコーチング(遊び・・・)しました。

その子は、家庭に問題がありご両親が離婚するようです。
小学6年生なのですが、「受験をやめる!」と言い出しました。

まぁ、そんな気持ちになるのも仕方ないとは思いますが、
出来る限り後悔のないようにと思い、時間をとって話をする時間を作って
もらいました。

家まで、車で迎えに行くと、
サッカーボールを小脇に抱えて出てきました。
えっ?サッカーするの????

成り行きで、近くの公園でサッカーをすることになりました。
※こっちは、スーツに革靴

でも、以外にこれが良かった!!!

ボールをパス、パス、パスしながら話を聴いたり、質問したりするのですが、
以外にスムーズなんです!?

言葉が、ボールとなって相手のところに届いている感じです。

あっと言う間に、1時間半経ちました。
サッカーしたのか、教育コーチングしたのか分かりませんが、
来たときとは、全く違う表情で帰っていきました。

そのあと、お母様から電話があり、
「先生ありがとうございます!本人が受験は最後までやると言ってくれました。」
という知らせがありました。

続ける事が幸せなのかどうかは分かりませんが、
ひと安心しました。

ところで、皆さん最近お子さんとキャッチボールしてますか?
これって、効果的だな・と思いました。。。

出会いを仕事にする

9月6日に教育コーチングのセミナーを予定している超介です。

6月14日に松山市の公共施設で 子育ちセミナー をやりましたが、それを見て、開講25周年を迎える教場から保護者セミナーをやって欲しいという要請がありました。させてもらうことにしました。

少しでも喜んでもらえる内容をと準備を進めています。初回のセミナーは本当に心配で夜眠れないくらいでしたが、今度は楽しみにして準備ができそうです。(われながら、変化に驚いています。)直前になると、少し不安が頭をもたげてくるかもしれませんが。

これからは出会いを創る仕事をしていきたいと思います。現状の仕事の枠組みをほどきなおし、少し大きくして人と人、人と場、人と情報、人と・・・の出会いを創る仕事にしたいのです。

出会いの意味も大きく捉えて、たとえば自分の能力との出会いも含めます。最近あったことです。脳は睡眠中も働いていて、昼間に収集した情報を整理しているといいます

前日の夜、中学生(1年)の漢字の問題を解いていて思いつかないので、寝ている間に考えることにしました。こんな問題なのです。(皆さんはすぐ気づくかもしれませんが・・・。)

     ○には全部同じ漢字が入ります。何が入る?
        総○/創○/○思/真○

 で、朝起床後、ふと思い出して答えに気がついたのです。(答えは次回にお知らせします。)この様な脳の働きに出会って、それをきちんと使えるようになれば楽しいことができると思いませんか?

はじめまして、島根の おか です

『教育コーチング』日記に、本日デビューしました。
どうぞよろしくお願いします(^^)

ひょんなことから、2006年の春にこの『教育コーチング』に出会いました。
そしてそれ以来、この『教育コーチング』は私に色々なことを教え続けてくれています。

塾の塾長をしていますが、
講師として生徒と接するにも
経営者として社員と接するにしても
指導がうまく行く人と行かない人、馬の合う人合わない人がいるものです。
当然、生徒の成績に影響したり、社員の仕事ぶりにも影響しますよね。
(厳密に言いますと、影響していたんです)

塾長を拝命したときから、
私の師匠(自分で勝手に師匠だと思っている方)から次のように言われていました、
「世の中(身の回り)で起こっていることのすべての原因は自分にあると思え」と。

「分かりました」と言いつつも、少々納得のいかない部分も・・・。
ただ、仕事に関することについてはいつもこのことを考えていました。
そして、やってみるとやはりその通りです。

原因がどこか違うところにあると思えば、結局すべて人のせいになってしまう。
結局それでは何も解決しないことになるんですね。

そうやって考えてみると、結局は
「世の中で(少なくとも身の回りで)起こっていることすべての原因は自分にある」
と思えるようになりました。

そんなときです、『教育コーチング』に出会ったのは。
『コーチは相手の鏡に』ときいたとき、
勝手に『目の前の相手は自分の鏡』とも解釈できないか、と思いました。
つまり、「相手が良くない(と自分が思っている)のは実は自分が良くないってことだ」、と。。。。

ということは、
「相手に良くなってもらいたかったら、自分が変わるしかない」って思い始めました。
それには、このコーチングは正にうってつけだったんです。

それからはこのコーチングにどんどんはまって行きました。
周りを良くするために、生徒に良くなってもらうために、会社(塾)を良くするために、、、、、

あれから3年あまり、
今は塾のスタッフにもコーチになってもらい
少しづつですが、保護者のみなさまにもお子さまのコーチになっていただいています。

まだまだですが、確実に前進しているのが目に見えて
さらにはまっていく自分、変わって行きたい自分がいます。
「成長するとは、変わること」なんですね。

時々、顔を出しますが、これからもどうぞよろしくお願いします(^^)

ようやく終業式です。

○教育コーチングに励まされている「そら@内藤」です。

○我が校も、ようやく明日(あっ、もう今日か・・)
 終業式です。
 長野県は、夏休みが短いのです。

○それにしても、曇り・雨・曇り・・
 各地の災害も心配です。

 早くカラッとした夏の空を見たいと思っています。

○雨の合間のわずかな太陽に嬉しそうな紫陽花です。
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「ゲームの笑い」体験

たびし@小山です。

先日、ある団体の方からお仕事の依頼をいただきました。

  ええ、えへへへ・・・小山先生○月○日、スケジュール空いてらっしゃればと・・・ほほほほ
  先生が△△町でされた講演会が大変良かったと、おほほほ聞きましてですね・・・えへへへ
  ・・・うちでも是非、まぁ、あはははは・・・地域のためにということで・・・・そういうあれで
  電話させてもらったんですよ・・・ほほほほ
  いやぁ、あははは・・・お忙しいとは思いながら、あははは・・・まぁひとつ、ほほほ・・・  

お仕事の依頼は大変ありがたく、うれしいです。

オーダーを頂戴しておいて大変おこがましいのですが、正直言って、気持ちの良くないオーダーでした。

内容ではなく、話し方なんです。

1つは「笑い」。

可笑しい時に人は笑いますが、可笑しくないときにも笑います。

意味も無く「はははは・・・」「へへへへ・・・」「ほほほほ・・・」

これを「ゲームの笑い」といいます。

居心地の悪さをごまかすため、あるいは相手に受け容れてもらうための無意識のお遊びです。

この笑いが強烈でした。

2つめに、「依頼」「要望」の言葉が一つも無いこと。

「私にはっきりお願いしなさい」とは言わないまでも、「講演をしてほしいんだ」

「来てしゃべってくれ」・・・そういう明確な意思表示が無いのはどうも気持ち悪い。

人にものを依頼するとき、要望するとき、僕はどうしているだろう???

誠実に向き合って、ストレートに言葉を、思いを、届けよう。

教育コーチにとって、とっても大事な要素です。

教育コーチの徒然なる読書日記1

新しくブログライターに加わったGです。
徒然なるままに読んだ本についての読書日記を書き綴っていきます。

 第1回目に取り上げる本は、言わずと知れた?「子どもを伸ばす5つの法則 やる気と能力を引き出すパパ・ママコーチング(著者:小山英樹)」です。
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(読み込んでぼろぼろになったマイブック)

 この本には、現在の教育コーチング理論を確立する元となった考え方や、著者である小山トレーナー(以降、「たびさん」と言います。)の成功談や失敗談などがふんだんに掲載されており、すでに教育コーチである方々やこれからコーチを目指そうと考えているみなさんにとって、そして、お父さんお母さんにとっても必読の書です。
 私がこの本に出会ったのは2006年ですが、当時高校の教員であった私は「これこそ、自分が探し求めていた本物の教育だ!!」と感動したことを今でも覚えています。

 さて、まず最初に、マラソンの小出監督やプロ野球の故仰木監督などを例にとり、名コーチといわれる人たちに共通したあり方とは何なのかというところから話が始まります。《名コーチに共通していえることは、自分の考えや技術を「教える」よりも、選手の個性と自主性を大事にして、持っている能力を「引き出す」のが上手だということ》このようなあり方は、まさに教育コーチングが目指すコーチ像であるといえます。

 では、どのようなコーチなら、相手の能力を「引き出す」ことができるのか。このことについて、たびさんは本の中で《相手はもともとすべてを持っている人だ、できる人だ》という考えが前提になると言っています(現在の教育コーチングの言葉では「信念のトライアングル」としているものになります)。このような前提に立って、よく聴き、受け入れ、しっかりと承認をすることにより、能力が引き出されていくわけです。もちろん、そこには聴く技術や質問する技術も必要になってきます。この技術についてはここでは触れませんが、本を読み込んでいただいたり、ECTPなどの教育コーチング講座受講したりして、身につけることが可能です。

 まだまだご紹介したいのですが、キリがなくなってしまうので、本の中に出てくるたびさんの言葉で、特に印象的なものをいくつか抜き出して、今回の徒然読書日記を閉じたいと思います。

《「何があったらできるか」「やったらどうなるか」を考える習慣をつけることです。そして、行動によって得るべきものは、大きな達成感や他人から認められる喜び、他人を幸福にする喜びです。それを繰り返し味わううちに、子どもたちは人生の究極の目的は何なのかを知るのです。》

《自分を観察するというのは、成長した人間だけにできることです。イヌやネコは、「今、鳴こうとしている」と自己観察できませんし、また、赤ちゃんも、ギャーと泣きながら、「自分は火のついたように泣いている」とは思いません。ですから、自己観察できるのは、人間、それも大人の証といえます。逆にいえば、感情のままに子供を叱ったり、怒鳴ったりする親は、大人になりきれていないといわれても仕方ないでしょう。》

《「起こってほしくないこと」が起こらない人生は、幸せかもしれません。しかし真の幸せは、「起こってほしいこと」が起こる、あるいは起こせる人生のはずです。》

《夢は人を勇気づけます。そして行動を喚起します。子どもの夢を尊重し、大切に育むことが、その子の将来を切り拓き、日本の将来を切り拓くことになるのです。》

《コーチングは”魔法の杖”ではありませんが、上手に使えれば、素敵な魔法のような力を発揮します。ぜひ、挑戦してください。》
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(2006年当時、たびさんにもらったサイン)

不思議・・・!!

夏休みにはいりました。
・・・といっても当園では夏期保育に来る子どもたちで
毎日、プール・水遊びとにぎわっております。

ひときは昨日は『皆既日食』で保育者も一緒に大騒ぎでした。

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園児が持ってきた手作りの観察BOXや
保護者からいただいた日食観察グラスで
子どもたちと代わりばんこに空をみあげては
「おぉぉ・!!」と大声で叫んでいた保育者・・・。
順番待ちをしながら
「雲がでてきた…見えなくなっちゃうよう・」
と、焦り始めた瞬間・・・・
「アッ!あれ!!」
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薄い雲のベールにつつまれた太陽が白く、くっきりと
三日月のような姿であらわれたのです!
(…裸眼ではっきりと観ることができました♪)
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(画面斜め下から見ると見えるかな・・・?)

あたりが次第に薄暗く陰りゆく様子を子どもたちと
ドキドキしながら過ごし、
再び陽の光が感じられはじめるとと
思わずニッコリしてしまった不思議なひとときでした。

『皆既日食』の意味は知らなくても
ここで体験したこの不思議な感動が
いつか知識となって蘇り、その時の体験や思いが心に蘇り
辺りを明るく照らす太陽のごとく歩んでいくパワーとなって
くれることと強く感じた瞬間でもありました。