「教育コーチ」修行中の超介です。
ゼロベース思考、というのはそれまでやっていた思考作業を一旦ガラガラポンと崩して、最初からやり直すこと、とおもっていました。電卓計算でたとえるならばメモリも全部消してACボタンをおしてやり直す、算盤でいうなら「ご破算で願いましては」ではじめること、のようにです。
でも、数日前に本を読んでいて私的(超介的)最良の意味に気がつきました。
皆さんは日々の生活の中で、困難なこと、できそうにないこと(それが公的なことであれ、私的なことであれ)に出くわすことはありませんか?ありますよね。
たとえば、私は人前で話すことがイヤでたまりませんでした。ですから、会社の全体会議などでスピーチをすることがきまると、1週間ほど前からでも憂鬱でした。準備をしていても不安がこみ上げてきます。それを気にすればするほど、そうなります。
これをゼロベース思考で捉えなおします。この場合のゼロベース思考は「思考の枠」を拡大することです。いやなこと、というのはそれにこだわるからいやなことなのであり、そのときは「思考の枠」がそのいやなことを中心にして存在しています。その枠を最大限に広げるのがゼロベース思考です。すると、その枠内で新たな事象が浮かんでくるので、それとの有意義な関係を作るのです(構造化する、とかいうらしいです。)。
たとえば、スピーチをすることの延長上に、1年後に20名くらいの保護者の前でトレーナーとしてファシリテートしている自分をイメージするのです。そうすると、目の前のいやなことがそこに至る(ちょっとたとえとしては悪いですが)までのトレーニングの機会として見えてきます。やるべきことを大きく捉えなおします。メンタルエネルギーが必要ですが。
こんなことを考えるのは次のような事情からなのです。
朝起きると憂鬱な気分にとらわれます。その原因を考えました。それは、一つこなせば、また次へと、次から次へと向かい合うべき困難な事態に遭遇しているとおもっているからなのです。これが憂鬱の正体かと。でもその都度思考の枠をひろげることができれば(ゼロベース思考で位置を捉えなおせば)、違って感じられるはず、とやっと気づいたのです(ずーと朝が憂鬱でした。これまでは、ごまかしてエイ、ヤーとそのような気持ちを切り捨てていました)。
私の「最大・最深の思考の枠」を死後の世界まで広げます。すると、『私の葬式のとき、知人達が私のことを「超介さんは、本当に誠実に生きたひとだったよね」といってくれること』、これがその枠の中で一番大切なこととして浮かんできます。そこから、次々と現れる困難(と思われる)な事象を捉えなおします。すると、憂鬱な気持ちがおさまり,少し前向きの感情につながるのです(きっと)。
このような思考を繰り返せば習慣になり生まれ変わることができると思っているのです。
これもセルフコーチングだと思います。
「無意識の海から思考・判断・感情型を引き上げ、リストラクチャ、ブラッシュアップして再度無意識の海にそっと沈める」です。