眼に付く風景

数年前にそれまで使っていた車が動かなくなって、黒のWISHを購入しました。それ以来、街を走っていてやたらWISHが眼に付くようになりました。

中学生の頃天文少年でした。望遠鏡の作成に関心がありました。それで、丸くて中が空洞のもの(望遠鏡の鏡筒に使えないかと)が眼に付きました。丸くて、軽そうな筒状のものがあると、たたいてみて質感を確かめてみたり、そういうことをよくしました。

子どもが生まれて親の気持ちがわかるようになった、そう強く感じたことがありました。兵士が戦場で負傷したぐったりしている子どもを抱き、じっとその子を眺めて立ち尽くしている写真、週刊誌に掲載されていたその写真を見て、目が離せなく、こみ上げてくるものがありました。子供が生まれるまでは見過ごしていた写真であったと思います。

人はそのときの関心にしたがって風景を見ます。そのときに眼に飛び込んでくるのは自分が選択したものです。自分の概念で事象を捉えます。もし概念がなければその物事は存在しないと同じ。(これは中級研修で習ったんですよね。事実と概念。)見るもの、聞くもの、味わうもの、感じるもの、・・・たぶん全部そうなのでしょうか。

ここまで書いてきたのは理由があります。それは、このごろ人の会話が気になってしまうのです。会話だけではなく、ある人に関わる人の、その関わり方が僕の神経を刺激します。(「そんな話かたはダメだろう!」「もっと、相手の話を聞いた上で話さないと・・」と心の中) 刺激されます。

批判的に人の言動を見てしまうようになっています。その度に不機嫌、不愉快になります。今はある程度我慢していますが、それだけでは・・・。(So what?の出番だ!)

なぜか?少しコミュ二ケーションについて知識が増えて、そのために意識がそこに集中しているんだと思っています。こういうふうに人はあることを身に付け、それまでずーとあったことを急に意識し始めて、行動を起こす、戦って周囲を変える、逃げる、我慢する、八つ当たりする、元に戻る・・・・・・・・・。

(So what ? それで、あんたはどうするの?)

・・・・・・
・・・・・・

One thought on “眼に付く風景”

  1. キヨシです。
    まず具体的に動いてみること
    具体的に動けば 具体的な答えが出てくるよ
    相田みつおさんのことばです。
    昔、友人からこの言葉が書かれたカードをもらいました。
    思考をするから、そこにいろんなものが生まれる。
    また、それを行動にすれば、そこにまた何かが生まれる。
    チャレンジしている証拠だと私は感じました。
     

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